5分で読める法律の豆知識

テレビや新聞などで政治から芸能スキャンダルまで幅広いニュースを見ます。しかし、法律のことについて詳しく書かれたものはあまりみません。なので自分で勉強してみました。個人的に面白いと思ったものだけ書くのであまり網羅性はありません。なので暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです。

不倫相手が家に来た!住居侵入罪では?

 最近不倫がブームになっている現代日本ですが、不倫相手がお家に来たらどう思いますか?

 例えば、私が結婚をしていたとします。私が会社に行っている時に妻の不倫相手が我が家で逢引していました。妻の昼顔はあまり見たくありませんし、すごくむかつきますよね。

 特に人が一生懸命働いている時に、自分がいつも座るリビングのソファーや寝室のベッドで妻と不倫相手がいちゃいちゃしていることを考えると。。。。。。。

 

 突然ですが、この場合住居侵入罪は成立するでしょうか?

 

 たぶん賛否両論あると思います。「いやいやアウト。アウト。完全に犯罪だろ」と当事者だったら言うと思います。

 

 ですが犯罪とまで言えるのでしょうか。そこで、今回は住居侵入罪について検討したいと思います。

 

 住居侵入罪

 そもそも、住居侵入罪は、刑法130条前段に規定されています。条文を見ますと、「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入」することを住居侵入罪等として規定しています。

 

 少し難しいですが、入った場所によって罪名が異なります。例えば、住居に侵入すれば、住居侵入罪、建造物に侵入すれば、建造物侵入罪という感じになります。

 

 正当な理由

 では、具体的に見ていきましょう。

まず、「正当な理由がないのに」と規定されていますが、この部分は通常問題が起きません。つまり、ここでの正当な理由とは、法的に家屋に強制的に入ることができる権限を有している場合等を言います。

 

 例えば、ドラマとかで強面で筋肉ムキムキの刑事が「がさいれじゃ」と叫んで、複数人で乗り込んでいくシーンありますよね。このような場合、捜索差押許可状という令状が出ています。そのため、住んでいる人が「ダメよダメダメ」と言っても、刑事が「やかましいわ」と言って入って行っても良いことになります。

 

 逆にいうとこのような場合以外には、「正当な理由」というのは基本問題となりません。

 

 客体

 次に、客体についてですが、条文上「住居」「人の看守する邸宅」「建造物」「艦船」を規定います。難しい定義とか言いません。

「住居」=自宅とか

「人の看守する邸宅」=マンションの共用部分とか別荘とか

「建造物」=「住居」

「人の看守する邸宅」以外の建物で、会社とかデパートとか

「艦船」=軍艦とか船舶とか

 

です。

 ここでよく間違えるのですが、「住居」と条文上書いてある以上、人の家の庭に勝手に入るのはセーフだと思いませんか。

 

 当然アウトです。

 

 このでの「住居」とは、いわゆる囲繞地も含みます。囲繞地って、民法だと袋地を意味しますが、刑法だと、建物の周りを囲んでいる土地を指します。

 

 そのため、庭は住居を囲っている土地に含まれるので、囲繞地に当たり、「住居」となります。ゆえに、人の家の庭に勝手に入れば、住居侵入罪ということになります。

 

 侵入

 では、最後に「侵入」について検討しましょう。

この「侵入」の意義については、争いがあります。住居権説、平穏説という争いです。

 

 住居権説は、住居侵入罪は、住居権を保護法益とする犯罪だと考えます。そのため、「侵入」とは、住居権者の意思に反する立入ということになります。

 

 そして、住居権説の中にも新旧があります。旧住居権説は、家父長制を前提としており、家父長のみに住居権があると考えています。そのため、旧住居権説からすると、「侵入」とは、家父長の意思に反する立入ということになります。

 

 一方、新住居権説では、家族全員に管理県があるということになります。そのため、「侵入」とは、家族の意思に反する立入ということになります。

 

 他方、平穏説は、住居侵入罪は、生活の平穏を保護法益とする犯罪だと考えています。そのため、「侵入」とは、生活の平穏を害するような立入ということになります。

 

 と言ってもかなり分かりにくいので、冒頭の不倫事例に沿って検討します。

 

 例えば、私が結婚をしていて、会社に出勤している時に、妻が男性を連れ込んで、家で楽しく過ごしていたとします。この場合、男性は、住居侵入罪、つまり、私の家に「侵入」したことになるのでしょうか。

 

 旧住居権説の場合、家父長は私であり、私の断りなしに男性が家に入ることはできません。そのため、この立場からは、男性は家父長である私の意思に反して家の立ち入っているため、「侵入」に当たる可能性が高いです。

 

 ですが、家父長制は戦前のものであり、現代では廃止されています。そのため、このような立場をとる人はほとんどいません。

 

 他方、新住居権説というものがあります。この説では、住居の場合家族の構成員がそれぞれ管理権を有しているため、誰かが立入りを同意していれば、家に入ることは適法な行為となります。

 

 つまり、家族である妻が男性の立入を許している以上、住居権者の意思に反した立入ではなく、「侵入」には当たらないということになります。

 

 他方、平穏説から行くと、かなり微妙だと思います。平穏説は、住居侵入罪は生活の平穏を害するような立入をすることが、「侵入」だとしています。

そうだとすると、妻の不倫相手が家に入ることは私の立場からすると、生活の平穏を害されていると言えるようにも思えます。

 

 しかし、ここでの生活の平穏とは妻を始めとする家族全体で醸成されるものであり、いかに私が不愉快な気持ちになったとしても、それは私個人の感情が害されているだけで、生活の平穏が害されたとまでは言えないと思います。

 

 その結果、不倫相手の立入は、生活の平穏を害する立入とまでは言えず、「侵入」に当たらず、住居侵入罪は成立しないことになります。

(もっとも、民事的にみれば妻の不倫相手に対して損害賠償請求をすることは当然可能です。)

 

 総括

 以上検討した結果、現行法では不倫相手が家に入ってきた場合でも、住居侵入罪として処罰することはできないと言わざるをえません。ですが、当然、民事上の損害賠償請求を不倫

相手に行うことはできます。

 

 また、妻と不倫相手が不仲な時に、妻が「いやだ」と言っているにもかかわらず、不倫相手が立ち入りことは、妻の意思に反する立入になるため、「侵入」にあたります。そのため、この場合には、住居侵入罪が成立します。

 

 ゆえに、ケースバイケースということになります。

 

 人生いろいろありますが、そもそも自分も配偶者も不倫をしないような家族生活を構築できるように頑張りましょう。

 

これでいいのでは?判例の類型化・刑法の因果関係

 法律を勉強していると、何となく分かるけど、でも分からない部分は多いです。知っているつもり。それが一番厄介。いざ答案なんてものを書こうとすると上手くいくつもりが全く上手くいかない。なんて言うこともしばしばあります。

 

 刑法の因果関係の話もそうです。相当因果関係折衷説をまずは暗記。ですが、友達がしたり顔で「危険の現実化が最近は主流だから」といい、他の友達は「判例の類型化が最も重要」とか言ってきます。

 

 そもそも、危険の現実化とか判例の類型化とか、意味あるのですかね?

 

「答案書くときに必要だから類型化しなくてはいけいない」とか言いますが、そもそも、漫然と類型化させることに何の意味があるのでしょうか?

 

 正直答えはありません。ですが、個人的に思う最も良い方法を今回、提示してみたいと思います。小難しいことは一切抜きで、ざっくり大枠だけ提示します。

 

危険の現実化

 そもそも、相当因果関係折衷説というのは、ご存知の通りです。行為時点において一般人を基準に一般人が認識する事ができた事情と行為者が認識していた事情を基礎事情として、社会通念上当該結果の発生が相当か否かを基準に判断するものです。

 

 他方、危険の現実化というのは、まず行為の危険性を確定した上で、当該危険が現実化したか否かで審査するものです。

 

 そのままですね。注意点としては、行為の危険性というのは、行為に包含されているものをいいます。そのため、行為の危険性審査の段階では、行為後の事情は考慮されません。

 

 つまり、人の腹部をナイフで刺した場合に、刺突行為は類型的に人を出血多量などで死亡させる危険性を有した行為だと言えます。そのため、出血多量による死亡の危険が行為の危険性として存在します。

 

 その後、被害者が病院で暴れて傷口が開いたという事情は、行為の危険性審査ではなく、現実化したかどうかの審査で行う事となります。

 

 ここまで、したり顔で言っているのですが、はっきり言ってこんな事を言っていても全く実益がありません。

 というのも、これは「行為の危険性」と「現実化」という問いに対して問いのまま答えるのと同じ事がからです。

 

判例

 そのため、まずは代表的な判例をもう一度見返してみましょう。

・被害者の脳梅毒型(最判昭和25年3月31日刑集4・3・469)

 この判例では、被害者に脳梅毒という特殊事情があり、加害者の暴行と当該特殊事情とが相まって、結果を生じさせたとして、加害者の暴行と被害者の死亡結果との間に因果関係が認められるとされました。

 

・スキューバーダイビング(最判平成4年12月17日刑集46・9・683)

 スキューバーダイビングの指導者が受講生を見失った後、受講生が不適切な行動をとり、死亡したという事案について、指導者が受講生を見失った行為に誘発されて、受講生が不適切な行動をとったとして、因果関係を肯定しています。

 

・米兵ひき逃げ事件(最判昭和42年10月24日刑集21・8・1116)

 米兵が車を運転中に被害者を跳ねあげ、被害者が屋の上に横たわり、横たわった被害者を助手席の人が引きずり降ろして、被害者が死亡した事案です。この事案では、車で衝突した行為と引きずり降ろしてアスファルトに衝突させた行為といずれの行為から死亡結果が生じたか明らかではないため、車で衝突した行為と死亡結果との間の因果関係を否定しています。

 

・大阪南港事件(最判平成2年11月20日刑集44・8・837)

 この事件はかなり有名ですよね。加害者が殴打行為をして港に放置した後、何者かが(一応)再度被害者を殴打したというケースです。このケースでは、加害者の殴打行為によりすでに死亡の危険を発生しており、その後の第三者の行為は、死期を早めただけだとされ、加害者の殴打行為と死亡結果との間の因果関係が肯定されています。

 

実際の分析方法

 以上の判例を踏まえどのように実践に生かすのが良いのでしょうか。と言うより今挙げた判例だけでも類型化は当然できますよね。例えば、最初の判例を危険内在型、二番目を誘発型、三番目を異常事情介在型の寄与度不明、四番目を異常事情介在型寄与度判明型的な言いましでも整理は整理になっていると思います。

 

 ですが、この整理だけしていて本当に思考経済的に宜しいかたというと、あまり宜しくありません。というのも初見で問題文を見たときにわけわからないひねりとかある時に、いちいち漫然とやっても時間がかかるし、ミスを犯しやすいです。

 そのため、思考順路に沿って検討することがとても有益です。

第1段階:危険の確定

 まず第1段階は、危険の確定をします。この段階では、生じた危険性の内容は、客観的に判断されます。そのため、被害者が重篤な疾患を患っていても危険性の内容を判断する上で、当然に考慮されます。

参照判例>

・被害者の脳梅毒型(最判昭和25年3月31日刑集4・3・469)

 

第2段階:異常性審査

 危険の確定ができたら第2段階へ行きます。この段階では、生じた事情の異常性を審査します。言い換えると、加害者の行為から誘発されて生じたものかどうか、あるいは通常生じえる事情かどうかが審査の対象となります。誘発して起きた場合には、介在事情の寄与度がどんなに高い場合でも、因果関係は否定されません。

参照判例>

・スキューバーダイビング(最判平成4年12月17日刑集46・9・683)

 

第3段階:寄与度審査

 第2段階で、誘発あるいは通常生じるものだと認定できる場合には、第2段階で因果関係が肯定できます。ですが、異常な介在事情だとされた場合には、第3段階の寄与度審査へ行きます。この段階では、加害者の行為と介在事情を比べて、寄与度の大きさを審査することになります。

参照判例>

 ・米兵ひき逃げ事件(最判昭和42年10月24日刑集21・8・1116)

・大阪南港事件(最判平成2年11月20日刑集44・8・837)

 

思考図>

第1段階危険の確定

 ↓

第2段階異常性審査

 ↓  ↓

異常  通常

 ↓  ↓

 ↓  因果関係ある

 ↓

第3段階寄与度審査

加害者の行為 寄与小

  因果関係なし

 加害者の行為 寄与大

  因果関係ある

 

 

今より先へ。強制処分と任意捜査の限界

 法律を勉強していると理解しているようで理解してない部分ってありますよね。強制処分と任意捜査の限界もその一つです。

 

 そこで、今回は強制処分と任意捜査の限界について、しっかり理解をすることを目的に検討してみたいと思います。わかりやすく書くために多少語弊があるかもしれませんが、ご容赦頂ければ幸いです。

 

 捜査とは

 そもそも、捜査とは何でしょうか。ここが出発点であり、最重要なポイントです。捜査とは、捜査機関が主体となって行う活動のうち、公訴提起あるいは公訴維持のために、証拠を取得収集し、被疑者を身体拘束する活動です。

 

 ここで、重要なのは、「公訴提起あるいは公訴維持」を目的とする点です。ご存知の職務質問及び所持品検査は、行政警察活動であり、捜査ではありません。

 

 これは多くの人が理解をしていますが、米子銀行強盗事件(最判昭和53年6月20日刑集32・4・670)がなぜ職務質問及び所持品検査であるのか即答できない人は多いです。

 

 あくまでも一つの説明ですが、そもそも、捜査が「公訴提起あるいは公訴維持」を目的とすると、捜査活動とは、特定の犯罪が発生していること(あるいは将来発生すること)が必要です。例えば、変死体が発見されてその遺留品を保存する行為などは、公訴提起のための証拠収集活動になるため、被疑者が不明な場合も、捜査と言えます。

 

 一方、米子銀行強盗事件も、銀行強盗という特定の犯罪が発生したことは明らかです。ですが、米子銀行強盗事件では、被疑者不明で、容姿が似ている人物が犯人であるかどうか、言い換えると、事件と関係があるかどうかを判断するために、質問及び持ち物の検査をしているという事案です。

 

 そのため、ここでの質問は、公訴提起あるいは公訴維持を目的とするものではなくあくまでも既に発生している事件の被疑者どうかを判断している段階にすぎません。

 

 したがって、捜査ではなく、行政警察活動としての職務質問になります。

 

 強制処分法定主義と令状主義

 強制処分法定主義と令状主義については、当然聞いたことがあると思います。ですが、これらを峻別せずに同列に話している人がいます。個人的には、この二つの概念は分けた方が良いと思います。

 

 まず、刑訴法197条1項を見てみます。「捜査については、その目的を達すため必要な取調べをすることができる。但し、強制の処分は、この法律に特別の定めのある場合でなければ、これをすることはできない」と規定しています。

 

 刑訴法で、最もよく読まれる条文ですよね。釈迦に説法になりますが、本文は任意捜査の原則、ただし書きは、強制処分法定主義を規定しています。

 令状主義は、憲法35条を参照して下さい。

 

 この任意捜査の原則、強制処分法定主義、令状主義の関係性を考えることが非常に大切です。

 

 そもそも、警察及び検察官は、犯罪が発生した場合に、証拠収集をしなくてはいけません。この活動の種類態様には、色々な活動が想定されます。個人の権利利益を侵害する活動もあればそうでない活動も当然あります。

 

 このような前提がある場合に、立法論として、警察及び検察ができる捜査手法を限定列挙するのは無理です。そこで、原則、個人の権利利益を侵害しない。あるいはその程度が低い活動については、捜査活動を現場で行っている警察及び検察が自らの判断でやっても良いことにする。これが任意捜査の原則です。

 

 もっとも、「類型的に」個人の重要な権利を強度に侵害するものが存在します。ここでは、あくまでも「類型的に」です。現場で被処分者が同意したかどうかを問わず、類型的に重要な権利を強度に侵害する活動があります。

 

 このような活動を警察及び検察が自由に判断してやってしまうのは好ましくありません。そこで、前提として、警察及び検察が自由に判断を阻止するために、あらかじめ国会が定める法律がなければ、その活動自体をすることができないとしました。

 これが強制処分法定主義です。

 具体的にいうと、検証、捜索・差押え等です。

 

 その上で、令状主義とは、強制処分法定主義から法定された強制の処分があることを前提として、裁判所が当該処分を行える状況かどうかを判断することを定めた概念です。

 つまり、本来捜査できるかどうかの判断主体は、現場の警察あるいは検察ですが、令状主義は、その判断主体を裁判所に転換させる概念です。

 

 以上をまとめると、強制処分法定主義とは、そもそも当該捜査手法をとることが可能か否かという概念で、令状主義は、捜査の可否を判断する主体を裁判所へ転換させるものということになります。

 

 この理解は、司法試験各種資格試験の論述に響いてきます。

 

 強制処分該当性と任意捜査の限界

 強制処分該当性の基準

 強制の処分とは、「個人の意思を制圧し、身体、住居、財産等に制約を加え強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段を意味する」

 

 という基準については、知っていると思います。この基準がどのようなことを意味しているのかについては、色々な見解があります。

 ですが、ここで有益なのは、なぜこの基準ができたのかということです。この基準を判示した最判昭和51年3月16日刑集30・2・187当時、強制処分の定義については、学説が群雄割拠している状態でした。

 

 このような学説で一つ目の争点は、有形力の行使を伴う場合をすべて強制処分として扱っても良いのかという点です。有形力の行使といっても幅広いものがあります。例えば、被処分者の顔面を殴打するものから、逃げようとする被処分者の腕をつかんで制止するものまであります。

 

 説得あるいは制止させるために、腕を掴む行為を直ちに強制の処分として、法律の規定がないあるいは、令状がないと言うような形で、違法とするのは、一般的な感覚にそぐわないと言えます。

 

 そのため、被処分者の意思に反するではなく、制圧されたような状況下であることが、強制の処分として必要であると判例は示したと考えられます(もっとも、これは一つの説明の仕方にすぎません。そもそも「個人の意思の制圧」は意味のない要件との見解もあります)。

 

 また、「身体、住居、財産等」という形で列挙していますが、これはどのような意味でしょうか。この点については、重要な権利という形で、置き換える人もいますが、それはどうして置き換えてよいのでしょうか。

 

 この点については、そもそも、判例が出された当時、強制の処分について定説というものは存在しませんでした。そのような状況の中で、刑訴法上強制の処分として規定されているものがあります。それは、逮捕、捜索、差押さえ等です。

 

 逮捕の侵害利益は、身体の自由です。捜索は、住居の平穏です。差押えは財産権です。

 つまり、現行法上強制の処分として規定される権利利益と同程度の権利利益を侵害するものが強制の処分の内在的要素として必要だと判例は考えたと言えます。

 

 その結果、「身体、住居、財産」という表現を使い、重要な権利と置き換えて良いということが言われています。

 

 任意捜査の限界

 では、強制の処分に該当しない場合に、任意捜査の限界について検討することになりますが、これはどのように検討するのでしょうか。

 「必要性、緊急性、相当性についてそれぞれ適当に当てはめておけば点がくる」とか言う人がいますが、それは間違えだと思います。

 

 そもそも、必要性、緊急性、相当性、は並列的なものではありません。「天秤でしょ。天秤!」という人もいますが、その場合、何を乗せますか。

 

 そもそも、緊急性という要件を持ち出していますが、緊急性は必要性を補完する要素に過ぎず、常になくてはならないものではありません。現に最判平成20年4月15日刑集62・5・1398では緊急性が検討されていませんよね。是非確認して下さい。

 

 つまり、緊急性というのは必要性を補完し高める要素にすぎません。そのため、天秤の考え方でいうならば、必要性(+緊急性)VS権利侵害の内容程度=全体的に相当な限度かどうかということになります。

 

 事例にもよりますが、最判平成20年4月15日のようなケースで緊急性を無理やり出してきて、必要性と緊急性と同じレベルで検討しているのは方向性としてよろしくありません。

 

 思考判断枠

 以上うだうだお話してきましたが、まとめます。学部やローススクールで、二段階で検討をするべきとの話は聞いたことがあると思います。つまり、強制の処分該当性、任意捜査の限界という流れです。ですが、正確にはここは三段階で審査します。さらに、ここでの三段階は、二つのパターンに分けることができます。

 

一つ目は、強制処分に該当性しないパターンです。

第1段階>

 捜査該当性

 ↓→捜査に当たらない場合は、職務質問・所持品検査へ

第2段階>

 強制の処分該当性

 ↓否定

第3段階>

 任意捜査の限界

 

 二つ目は、強制の処分に該当するケースです

第1段階>

 捜査該当性

 ↓ 当たる

第2段階>

 強制の処分該当性

 ↓肯定

第3段階その1>

 法定の処分ではない場合

 →強制処分法定主義違反

第3段階その2>

 法定の処分である

 →検証等と認定できる場合には、令状主義違反

 

 となります。

 特に、強制の処分に該当する場合、なぜ違法なのか、強制処分法定主義違反か令状主義違反かは忘れる人が多いので、絶対に忘れない方が得策です。

公序良俗違反?不倫相手に相続させる遺言の有効性?

 最近、不倫の問題が世間で話題にのぼることが多くなってきました。議員から芸能人まで不倫!不倫!不倫!

 

 協会で神父さんの前で、永遠の愛を誓ったのに数年経てばどこかに行ってしまいます。

 

ですが、不倫にも内容があります。夫婦関係が破綻している時に、理想的な女性と出会い何十年もその後の人生を一緒に過ごすケースから、ちょっとした遊び心で愛人として付き合うケースなど色々あります。

 

 どちらも、婚姻関係が形式上存続している以上、個人的には好ましい事ではないと思います。ですが、内縁の妻には相続権がなく、不倫相手に遺産を相続させるために、遺言をすることが多いです。

 

 この場合、遺言は常に有効と言えるのでしょうか。例えば、愛人に全部の遺産を相続させるような遺言が有効だとすると、法律上の配偶者や子供は納得できるでしょうか。

 

 今回は、このような不倫相手への遺言が公序良俗に違反し、無効となるか検討したと思います。

 

 そもそも公序良俗違反とは?

 まず、民法90条を見てみましょう。民法90条は「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする」と規定しています。

 

 簡単にいうと、社会的に悪い行為があります。例えば、賭け麻雀や愛人契約、暴利行為は、反社会性が強い行為です。このような行為を内容目的とする法律行為を有効としてしまいますと、みんな法律を守ろうとしなくなり、ある種のカオス状態になってしまいます。

 

 そのため、賭け麻雀のためにお金を貸す契約、愛人となることを目的とする金銭の贈与、10日で1割の利息を付ける利息契約・消費貸借契約を無効として、みんなが法律を守り良い社会をつくるために、設けられたのが民法90条の公序良俗違反です。

 

 不倫相手への遺言

 では、不倫相手に遺産を相続させる遺言をすると公序良俗に違反することになるのでしょうか。

 

 実は、ただちに違反することにはなりません。

 

 というのも、冒頭で申し上げた通り、不倫にも色々なものがあります。例えば、若い時に結婚して数年で別居し、30代前半で新しいパートナーを見つけて、この前還暦を迎えましたというケースから、金持ちが愛人を作ってやりたい放題やっていたというケースもあります。

 

「不倫」と一言でいってもその内容は様々なものがあり、みんなが見たときに、「仕方ないよね」と言えるものから、「最低だな」と言えるものまで様々です。

 

そのため、不倫相手に遺産を残すために遺言をしても、これが公序良俗に違反するかはケースバイケースです。

 

 ですが、一つの指針となるのが、最判昭和61年11月20日民集40巻7号1167頁です。

 

 この判例では、結論からいうと、不倫相手に遺産を相続させる遺言は、公序良俗に違反せず、有効としています。

 

 この判例の評価には色々ありますが、有効と結論付けるに至った理由はいくつかあります。

 

 まず、別居期間です。この判例では、別居してから死亡するまでに10年程度ありました。別居期間が長いことは、夫婦関係が実質的に破綻していることを基礎づけるため、長期間になればなるほど、不倫相手への遺言が有効になる方向へ傾きます。

 

 さらに、不倫相手との付き合いは、死亡するまでに概ね継続しており、死亡の前後で関係性が変化していないことが考慮されました。

 これは、不倫相手との関係が愛人のような金銭目的の関係ではなく、恋愛関係であることを推認させます。当然、恋愛関係の方が、公序良俗に反しない方向に働きます。

 

 さらに、当時配偶者の相続分は、3分の1でした。この判例では、遺言の内容は、法律上の妻3分の1、不倫相手3分の1、子供3分の1ずつ相続させるものであったため、法律上の妻を殊更に害するものではないとされました。

 

 これらの要素を考慮して、遺言は、公序良俗に違反せず、有効とされました。

(現在では、子供と一緒に相続する場合は2分の1です。)

 

 総括

 以上に挙げた要素は、別居期間、不倫相手との関係、相続分の三つです。ですが、この三つが全ていい感じにそろっていないと、公序良俗に反すると言うようなことは決してないと思います。

 

 そもそも、この問題は実質的に考えれば、法律上の妻が夫の死後生活保護を害される危険があるかどうか、不倫という反社会的行為を助成するような行為を有効にしてよいかという点にあります。

 

 そうだとすると、別居して30年経過していて、金銭的な援助を法律上の妻に生前しておらず、法律上の妻が独立して生計を維持している場合であれば、相続人である妻の生活保護を考慮すべき必要性はないと思います。

 また、別居してから30年経過している場合には、不倫が反社会的行為といえるかも微妙ですよね。

 

 そのため、このようなケースでは、遺産を不倫相手である内縁の妻にすべて残すというような遺言をしても、公序良俗に反さず、有効になると考えても良いのではないでしょうか。

 

 現在、遺言の内容をどのようにすべきか考えている人は、別居期間、不倫相手(内縁の妻)との関係、相続分(相続人の生活保護の程度)を具体的に検討してみることが大切です。

 

「契約書」「見ません」「読みません」本当に大丈夫ですか?

「肩ヒジ張らずに楽に」と言われても契約書にサインをする時緊張しますよね。もっとも、「そもそも内容を読みません」という人もいるかもしれません。

 

確かに、契約書は分厚くて小難しい言葉が羅列してあるので、読んでも読まなくても変わらない。そのため、読むだけ時間の無駄という意見は最もだと思います。

 

ですが、そもそも「契約」とはなんでしょうか?以外に知らないことがあるかもしれません。契約書を読まずに、サインをするとなぜ怖いのか?

そこで、今回はそもそも契約とは何か?契約書をなぜ読まなくてはいけないのか?検討してみたいと思います。

 

契約とその他の法律行為

 そもそも、契約とは二者当事者が相互に意思表示をして合意をする法律行為です。難しいですね。違った視点で見てみましょう。

 

「法律行為」という言葉を使いましたが、これは法律効果や法的関係性を生じせれる行為です。このような法的効果を生じさせる方法には色々なものがあります。

 

例えば、遺言を考え見ます。遺言は特定の人に死後の遺産を承継させる意思表示です。

 

内縁の妻は相続権がないので、遺産を残してあげようと思い遺言書くことが多いです。ですが、この遺言は内縁の妻が「了解です!」と言わないと、成立しないのでしょうか。

 

 当然違います。

 

遺言をする人は遺言の対象者の意思に関わらず遺言をすることが当然できます。このように一方的な意思表示により法律効果を生じさせるものを、単独行為といいます。

 

また、このような単独行為以外にも合同行為と言うものもあります。

例えば、会社を設立する時に色々な人が設立に向け行為します。このようなある特定の目的のために複数の人がする法律行為を合同行為と言います。

 

 

では、契約に戻りますが、契約は二人で行います。その点が、単独行為と大きく異なります。また、互いに向かって意思表示をする点で、合同行為とは異なります。

 

その結果、契約とは、二者当事者が相互に意思表示をして合意をする法律行為となります。

 

具体的な内容

 では、契約について具体的に見ていきます。そもそも、契約には契約自由の原則という大原則があります。

 

 内容は非常に簡単です。その名の通り、私たちは、強制されずに自由に契約を締結することができるということです。具体的に言うと、私たちは契約をするかしないか、また、誰と契約をするか、その内容をどのようなものにするか自由に決定することができるということです。

 

 すごく当たり前ですよね。ですが、この契約自由の原則が契約を考える上ですごく重要になります。この点について詳しく見ていきましょう。

 

 そもそも、民法は、13個の契約について規定しています。例えば、売買契約、請負契約、賃貸借契約等です。これらは、日常よく使う契約です。契約自由の原則がある以上、どのような内容を定めても良いはずですが、我々が、詳細に契約内容を決めることは非常に煩わしいです。また、そもそも、契約時に話合っていない場合や決めていないということが起こりえます。

 

 例えば、売買契約を締結した時に、代金の支払い時と物の引き渡し時を決めていなかったとします。この場合、民法の規定によれば、売買契約と同時に支払請求及び引き渡し請求をすることができます(同時履行関係にはなりますが)。

 

 しかし、民法の規定がなかった場合には、契約締結をしてから1週間後なのか、はたまた1か月後なのか、支払請求及び引き渡し請求をいつできるのかわかりません。そのため、買主と売主の間で後々法的紛争に発展してしまう可能性もあります。

 

 このような状況を回避するために、民法は良く使う典型的な契約について規定を置いています。

 

 この発想が非常に重要です。というのも、言い換えると民法の規定は、当事者で定めなかった場合や当事者が話合っていない場合に、適用されるものであり、話し合ってお互いで決めていた場合には、それに従うことになります。

 

 すなわち、民法の規定よりも契約自由の原則が優位に立っているといっても良いです。

(当然、公序良俗違反や、強行法規に違反する内容は定められませんが)

 

 実際どうゆうこと?

 以上のように、契約自由の原則が民法の規定に優位すると言っても「だからなんだ!」という感じですよね。

 

 ですが、この理解が非常に大切です。具体的に言うと、例えば、民法の規定に瑕疵担保責任というものがあります(民法570条・民法566条)。この瑕疵担保責任というのは、売買契約をする時に目的物に瑕疵がある場合に、売主が瑕疵を知っていたか否か、過失があるか否かに関係なく、買主は売主に対して損害賠償請求や解除をすることができる規定です。

 

 ですが、この瑕疵担保責任の規定は当事者の合意によって契約内容から外すことができます。その結果、売主は目的物に瑕疵があっても責任を負わないということが可能になります。

 

 具体的に見ますと、中古ディーラーから車を買ったとします。ところが、その車はエンジンが壊れていて100キロしか走行ができない車だったとします。この場合、売主のディーラーもそのエンジンが壊れていることを知らず、過失もなかったとします。この場合、民法の規定によれば、買った私たちは、売主であるディーラーに損害賠償請求をしたり、契約を解除することができるはずですよね。

 

 ところが、契約書を読み返してみると、「売買の目的物につき瑕疵があった場合、それがいかなる瑕疵であっても、売主は過失がない限り責任を負わない」という条項が入っていたとします。

 

 そうすると、瑕疵担保の規定が適用できないため、私たちは、ディーラーに対して損害賠償請求も契約の解除もできず、走行できない車をそのまま所有しなくてはいけないことになってしまい。

 

 総括

 このような状況は、非常にむかつきますよね。そもそも、「走らない車なんていらないよ」って話ですよね。

 

 このような状況にならないためにも、契約書を読むことが重要です。また、契約書に過度に売主の免責条項が入っている場合には、契約をしないという選択も検討をした方が良いです。

知っていますか?賃貸借契約の内容

 高校を卒業して上京する時などに、マンションを借りることが多いです。不動産屋を何軒か回って自分の好きな物件を探す。新しい生活に心が踊ります。いくつか好きな物件をピックアップして、「これだ!」と思うマンションを選ぶ。非常に楽しいですね。

 

 いざ契約となると、小難しい「賃貸借契約書」にサインをして判子を押します。

 しかし、この「契約書」にはどのようなことが書いてあるのでしょうか。知らないと後々損をしてしまうこともあるかもしれません。

 そこで、今回は賃貸借契約の内容をざっくり検討していきたいと思います。

 

賃貸借契約の概要

 そもそも、賃貸借契約は民法601条に規定されています。簡単に言うと、まず貸す人を賃貸人といい、借りる人を賃借人といいます。対象となる物を賃借物といいます。

マンションの例で言えば、不動産屋や大家さんが賃貸人で、私たちが賃借人です。また、賃借物はマンションとなります。

 

 つまり、大家さんは私たちに対して、マンションを住める状態にして引き渡す義務を負い、その代わりに私たちは賃料を支払う義務を負う。

このことをお互いで約束するということが賃貸借契約の根本的な内容です。

 

賃貸人と賃借人の権利義務

 以上の内容から、大家さんは私たちに対して、マンションを引き渡して居住できる状態にすべき義務を負い、私たちは大家さんに賃料を支払う義務を負うことになります。

 

 そのため、大家さんがマンションを引き渡さない場合には私たちは引き渡しを請求できる権利を有します。また、逆に私たちが賃料を支払わなければ、大家さんは私たちに賃料を支払うように請求できる権利を有します。

 

 要するに、権利と義務は表裏一体の関係にあります。

 

では、このような根本的な権利義務の他にどのような権利義務があるのでしょうか。

 

大家さんの義務

 大家さんは修繕義務、必要費と有益費の支払い義務を負います。

 そもそも、大家さんは、マンションを居住できる状態にする義務を負います。そのため、賃貸期間中に、換気扇や水道のパッキンが故障した場合、生活に欠くことができない部位が壊れているので、通常の居住が難しくなります。そのため、大家さんは、このような故障を修繕すべき義務を負います(民法606条)。

 

 さらに、大家さんが修繕をする前に、私たちが修理業者に依頼して直してもらった場合には、修繕にかかった費用分のお金を支払って下さいと大家さんに請求をできます。これを必要費の支払い義務と言います(民法608条)。

 

 では、壁紙がはがれてしまし、自分で高級な壁紙にし直した場合にも費用は、全部大家さんに請求できるのでしょうか。

 

 この場合、通常の壁紙の費用分は、必要費として大家さんに支払義務があります。ですが、「高級な」費用分は、有益費に当たります。有益費とは、賃借物の価値を客観的に増加させる費用を言います。この壁紙で言えば、高級な壁紙を使用したことでマンションの価値が高くなったと言えます。

 

 ゆえに、その上がった価値が賃貸借終了時点でも残存していれば、大家さんはその増加分を私たちに支払わなくてはいけません。これを有益費の支払義務と言います(民法608条・民法608条2項・民法196条2項)。

 

私たちの義務

 他方、私たちの義務としては、用法遵守義務(民法614条・民法594条1項)、転貸借禁止義務(民法612条1項)などがあります。

   用法遵守義務

 まず用法遵守義務については、簡単です。その名前の通り、決められた使い方をしなくてはいけないという義務です。

 

 例えば、マンションを借りるときに、必ず使用目的を聞かれます。例えば、居住のためとか、事務所として使用するとかそのようなことを聞かれます。

その上、居住のためと目的を決めた場合には、通常の居住として適した利用をしなくてはいけません。これが用法遵守義務です。

 

 この場合、大学在学中に起業して、事務所として利用をした場合、当初決めた使用目的と異なる利用になるため、用法遵守義務に違反します。

 

 また、「通常」と言う言葉を使いましたが、通常住むときに落書きを壁にしてはいけないのは当たり前ですよね。例えば、大学在学中に「自分はアーティストに将来なろう!」と決意したとします。

 

 これ自体は素晴らしいことです。どんどんやって下さい!ですが、その熱意が暴走して、自分の部屋に「美しいアートな絵を描きまくった」とします。

 

 非常に美しい絵ですね。ですが、絵が上手いかどうかに関わりなく、そもそも、「通常」住む上で、壁に絵を描いてはいけません。落書きとはいいませんが、壁に絵を描く行為自体通常の居住態様の範囲内に含まれていません。

 

そのため、壁に過剰に絵を描きまくると用法遵守義務違反になります。

 

  転貸借禁止義務

 次に、私たちは、転貸借禁止義務を負います。簡単にいうと、大家さん等に無断で、借りているマンションを他の人に貸してはいけない義務を負います(民法612条参照)。

 

 例えば、大学在学中に半年間海外留学をする場合や海外出張で3ヶ月マンションを空けることがあります。

 

 この場合、自分が住んでいないのに賃料を支払うのはばかばかしい」と思う人がいます。この考え方自体は、共感できる部分もありますが、「そうだ!友達に貸して賃料を取ろう!そうすれば、家賃の半分ぐらいは回収できるかも。あわよくばプラスになったりして」と名案を思い付き、友達に貸す人もいます。

 

ダメです。これは転貸借禁止義務に違反します。

 

ケースにもよりますが、債務不履行により大家さんから明け渡し請求をさせる可能性もあります。そのため、海外から帰ってきた時に、「住む家がない!」というような状態になってしまうかもしれません。

 

気を付けること

 以上が、大家さんと私たちが持っている基本的な権利義務です。ですが、ここで大事なことを言い忘れていました。ごめんなさい。

 

 実は、これらの権利義務については、大家さんと私たちの裁量で、外したりすることができます。

 

 難しい言葉になってしまいますが、これを契約内容自由の原則と言います。この原則があることで、法律が絶対的に禁止している事柄(強行法規と言います)以外については、私たちは、自由に契約の内容を決めて良いことになっています。

 

 そのため、例えば、壁に美しい絵を書くことは、本来用法遵守義務に違反しますが、契約をする時に、大家さんに「めっちゃいい絵を描いたげる。もし将来価値がでても大家さんのもんやから、大家さん許してな」といい、大家さんが「ほんまか。なら描いてええよ」と言えば、壁に絵を描いてはいけないという用法遵守義務はないこととなります。

 

 そのため、絵を描いても何ら問題はありません。

 このように交渉次第では、色々な契約内容を作ることができます。

 

 ですが、多くの場合、ひな形がありそれにサインすればOKというような形になっています。この場合、「通常損耗を含む一切の必要費を賃借人の負担とする」というような条項を入れている不動産屋さんもいるかもしれません。

 

 このような契約内容を作ることも適法です。しかし、このような条項は、本来の賃料よりも安くする代わりに、必要費を賃借人に負担させる例外的手法です。そのため、賃料等が安くなるメリットもないのに「通常損耗を含む一切の必要費を賃借人の負担とする」という条項を入れてひな形を作っている不動産屋は、高い可能性で問題がある不動産屋です。絶対に契約をしない方が良いです。

 

 以上のように賃貸借契約には、色々な権利義務があり、契約内容を自分たちで決めることができることが分かりました。良い物件を見つけたらさらに自分が納得する契約内容を交渉してみるともっと幸せになれるかもしれません。

 

 ちなみに敷金についてはこちらをお願いします。

そもそも、敷金って何ですか? - 5分で読める法律の豆知識

 

護憲?改憲?憲法改正を問う前に憲法改正の限界とは?

 最近、憲法改正に当たって「護憲派ですか?」「改憲派ですか?」みたいな議論が巷でもあるみたいですが、そもそも、視点がズレテいるような気がしてなりません。というのも、「護憲派」=今の憲法から1ミリたりとも変えない派閥、「改憲派」=今の憲法から1ミリ以上変える派閥的な議論の組み方をしているような気がします。

 

 今比喩で、1ミリと言ったのですが、例えば、私達みんな考え方は違うわけですよね。例えば、「平和主義をなくして、常に臨戦態勢でいるべき」という考え方の人もいれば、そうではなく、「平和主義を維持しつつ敵国から攻撃された場合には、交戦自体はできるように軍隊を持つことを憲法で明記しよう」という考え方の人もいると思います。

 はたまた、現在の憲法から一切変えるべきでないとう考え方も当然あります。

 

 

 ですが、そもそも、憲法ってどこまで変えることができるのですか。

 

中学高校の時に、憲法の基本的な三大原理として、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という言葉をお題目のようにぶつぶつぶつぶつ暗記しましたが、これらの原理を放棄するような改正までできるのでしょうか。

 

今回は、護憲改憲の前提として、憲法改正の限界についての前提を調べてみました。

 

 

 二つの相反する考え方

 そもそも、憲法改正については限界ある説とない説があります。

 

 限界ある説

 まず、限界がある説の中には、色々なものがあります。一つの例として、憲法を制定した時点で、その基本原理が存在し、改憲は、当該基本原理の範囲内においてのみ変更を加えることができるにすぎないというものがあります。

 

 かなり難しいですが、憲法をつくるときに、ある思想を持って作るわけですよね。例えば、時代劇をみていると、お奉行様がでてきます。このお奉行様は、普段は、行政官として、書類整理や町民の陳情を聞いて、部下に「ああしろ。こうしろ」と指示しています。しかし、いざ町民が人を殺したりすると「お裁き」という形で、裁判までやっちゃいます。

 

 

 これ普通に気にせず見ていますが、現代いうと、「市長が裁判官までやってるぜ」的な感じですよね。普通に考えたらありえないです。

 

 と!「普通に考えたらありえない」と思うのが憲法の基本原理があるからです。

 

 つまり、日本国憲法でいうと、行政は内閣、司法は裁判官、立法は国会がやるべきだと規定していますが、ここでは、三権分立という基本原理があるからです。つまり、日本国憲法をつくる時に、三権分立という基本原理が存在しており、この基本原理を変更するような改憲はできない。

 とする考え方が、憲法改正の限界ある説の考え方です。

 

 改正の限界ない説

 他方、改正の限界はないとする説もあります。この説は、そもそも、思想や根本的な考え方は、変化するため、過去の一時点で決めたことを基準にそこから改正のできる範囲に縛りを加えてしまうと、時代錯誤の憲法になってしまうということが理由です。

 

 私個人は、今の憲法思想について特段文句がないのですが、例えば、国会議員が汚職ばかりしまくって、無駄な国会答弁ばかりして時間と税金を浪費していたと仮定します。あくまでも仮定です!仮定!

 

そのような状況では、「そもそも、皆で話合う意味ある?一人の優秀な人が決めた方が良くないか?国会を廃止しよう。内閣もいらない。」と言うような思想が定着すると思います。

 

 この場合、立法と行政を統合するので、三権分立に反する構造になりますよね。

こちらの思想が一般的であるにもかかわらず、憲法改正の限界ある説では、このような思想に合わせた改正ができません。

 

 つまり、時代錯誤の憲法を維持しなくてはいけなくなってしまいます。これがおかしいと思って唱えられているのが、憲法改正の限界ない説です

 

 どちらが正しいか?

 「どちらが正しいか?」というと、答えはありません。ですが、個人的には、「改憲」という言葉は、現在ある憲法に変更を加えるとういう意味でとらえるべきだと思います。そもそも、現在ある憲法と全く異なる憲法をつるくことは、「改憲」ではなく、「新憲法の樹立」になります。そのため、憲法改正限界ある説が妥当だと思います。

 

 何を考えるべきか?

 では、憲法改正の限界があるとして、何を考えなくてはいけないのでしょうか。

例えば、憲法9条を改正して軍隊を保持することに対して、「平和主義を放棄した」というようなことを言う人がいますが、アメリカもイギリスもフランスもみんな軍隊を持っていますが、平和主義を採用していないかというとそんなことは決してありません。

 

 当然これらの国も平和主義を採用しています。

 

 私は、「憲法9条を改正して軍隊を保持することを平和主義の放棄だ」と考えること自体を絶対に否定しません。それは、その人が、日本国憲法における平和主義は、憲法9条に明記する通りの武力保持を禁止していることが基本原理であるのか否か、そして、基本原理であるから変更をすべきでないのか、それとも基本原理ではなくても、変更をすべきではないとしっかりと検討した上で、その立場にあるとしているなら全く問題がないからです。

 

 ただ、安易に反対・賛成というのは全く意味がないように思います。

 

 そのため、まずは、憲法における基本原理とは何か、その上で、何を変更すべきであり、何を変更しなくてはいけないのか、を個別によく検討することが大切と思います。

 

 もっというならば、私は、今後憲法改正を政府から提案された場合、例えば、「憲法9条2項について○○という条項にする」というような改正案がたった一つだけ出されたときは、そもそも、民意をないがしろにしていると思います。

 

 私たちは、みんな何を憲法の基本原理と考え、どこを限界とし、何を変更すべきか、変更すべきではないか、違った意見を持つと思います。その上で、改正憲法が1つしかないと言うのは、かなり違和感があります。

 

一つの条項の改正につき複数の候補を出して、投票をさせる方式の方が、国民投票の実施方法に困難があることを差し引いても、全員が納得する答えを導き出せるような気がします。