憲法を勉強していると、最初に出てくるのが、外国人の人権享有主体性のお話です。
民法における権利能力ならば、人であれば有することになますが、憲法の場合、如何なる人権がいかなる人に享有されるのか定かではありません。
その一つの類型として外国人の人権享有主体性の問題があります。
そこで、今回は、外国人の人権享有主体性についての有名な判例であるマクリーン事件判決について、少し検討してみたいと思います。
1 最大判昭和53年10月4日
まず、同判例では、外国人の入国の自由及び在留権を否定し、更新事由の判断について、法務大臣の裁量を認めた上で、以下のように判示しました。
「判断の基礎とされた重要な事実に誤りがあること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があったものとして違法であるとすることができる。」
行政法における行政裁量の審査基準と同様あるいは似ていますが、ここでは、外国人の在留更新をするか否かについて、法務大臣に行政裁量が認められ、上記基準で判断し、逸脱濫用がある場合に限って、違法という判断枠が採用されました。
では、その判断枠で審査を行った場合、外国人が政治活動をしていた事実はどのような要素となるのでしょうか?
この点について、前記判例は以下のように判断しました。
まず、「憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対して等しく及ぶものと解すべき」と判示しました。
そして、「政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶものと解するのが、相当である。」と判示しました。
すなわち、結論としては、外国人についても政治活動の自由は日本国憲法上、一定の限度で保障れると言えます。
もっとも、「外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、右のような外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎないものと解するのが相当」である旨を判示し、その上で、たとえ、外国人の政治活動が憲法上保障される行為であったとしても、これを消極的事情すなわち在留を認めない一事情として考慮することは許される旨を判示しました。
2 総括
以上判例に照らすと、外国人の政治活動等の基本的人権が日本国憲法により保障されることがあっても、ある一定の場面では、日本人とは異なり、消極自由(マイナス事由)として捉えられる可能性があると言えます。
3 司法試験等の各種試験の場合
司法試験等の各種試験を勉強していると、いわゆる三段階審査というものを聞いたことがあると思います。
もっとも、基本的に裁判所は三段階審査を意識しながら、検討しているわけではありません。そのため、判例を読んでいても、判例を参考にしてどのように答案を書くべきか分からないとう人は多いと思います。
これはあくまでも例なのですが、マクリーン事件判決であれば、外国人の人権享有主体性は保護範囲論の話だと言えます。
そして、制約としては、政治活動を理由に在留拒否をすることが、政治活動の自由に対する制約となると考えられます。
その上で、審査密度・審査論を考える際には、ベースとしては、法務大臣の裁量権を認めつつ、委縮効果等により制約が強度であること、問題となっている政治活動の自由が重要な人権であることから、裁量を限定し、判例よりも厳しい審査基準を定立するというような方法が考えられます(もっとも、厳格な審査基準等を使用するという意味ではありません。あくまでも裁量権の逸脱・濫用の枠を採用しつつ、逸脱濫用となる場面を広げていくイメージが個人的には良いと思います。)
これは立場や好みにもよりますが、判例を読む際は、答案に引き直した時にどのように書くかを意識して読むことが大切です。