少し前ですが、韓国でユンソナさんの息子さんが同級生をいじめていた報道がされましたが、日本でもいじめ問題は深刻ですよね。最近の事件では教育員会や学校側の対応に非難がなされていますが、いじめをした子供の親の責任はどのようになっているのでしょうか。今回は、子供がいじめをしてしまった場合に親が民事上どのような責任を負うのか検討してみたいと思います。
そもそも、いじめをした子供自身の責任は?
そもそも、いじめは、肉体的あるいは精神的に他者を傷つける行為です。典型的なものはネット上の書き込みや無視、暴言、暴行というものがあります。14歳未満は刑事上、刑罰が科されることはありませんが(刑法41条参照)、安心するのは早いです。
民法上は不法行為(民法709条・710条)が成立する可能性が高いです。
というのも民法上の不法行為が成立するためには、責任能力(民法712条)が必要だとされていますが、責任能力は、判例上だいたい12歳前後で認定されています。そのため、中学生であれば責任能力が認定されます。したがって、中学生以上でいじめを行った場合には、不法行為に基づく損害賠償責任を負います。ちなみに、相手が自殺してしまった場合には、ケースにもよりますが1億円以上の損害賠償責任が生じる場合もあります。
そのため、倫理的な話では当然だとして、法律的に考えてもいじめをするメリットはありません。というか相手が死ぬ可能性がある以上、「1億円を支払う覚悟をもっていじめる」って、もはや「親の仇!」レベルの怨念すら感じますよね。そのぐらいの恨みを持つって、ある意味すごいことです。むしろそのぐらいのエネルギーがあるなら、自分が楽しいと思うことにエネルギーを注いだ方が絶対に成功すると思います。
いじめた子供の親の責任
本題に戻ります。では、中学生以上でいじめをした場合、子供が損害賠償義務を負うとして、親には責任がないのでしょうか。
まず、条文を見てみましょう。民法714条です。
民法714条は「前二条の規定(民法712条の責任能力のない未成年者の場合等)により責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない」と規定しています。
要するに、12歳未満等の責任能力がない未成年者がいじめを行った場合には、監督義務者である親が監督を怠らなかった等と言えなければ、親も損害賠償責任を負います。
では、責任能力がある中学生がいじめを行った場合に、親の責任はどうなるのでしょうか。この点について、条文には書かれていません。条文の反対解釈をすると、子供に責任能力があるのだから、子供が責任をとるべきであり、親には損害賠償責任を負わないとも考えられます。しかし、判例は一定の範囲で親の損害賠償責任を認めています。最判昭和49年3月22日民集28・2・347です。この判例では、一般的な基準として、監督義務者の監督義務違反と未成年者の不法行為の間に相当因果関係があるときは、民法709条に基づいて監督義務者は損害賠償責任を負うとしています。
つまり、いじめをした子供の親も損害賠償責任を負うことがあります。
ですが、親の監督義務違反は常に認められるということではありません。最判平成18年2月24日家月58・8・88では、少年院への入所歴のある子供が出所後、特段の非行の事実が認められない中で、子供が犯罪を行った場合でも、親が犯罪を予測することができなかったときには、監督義務違反はなく、親は損害賠償責任を負わないとされています。もっとも、この事件の子供は19歳でほぼ成人と同じ責任能力を有していた事案なので、いじめをした子供の親の監督義務違反の有無を直ちに左右するものではありませんが。
結局どういうこと?
では、結局のところどのようになっているのでしょうか。実は、現在一般的な基準はありません。そのため、ケースバイケースで親の監督義務違反が認められたり認められなかったりする状況です。
この問題はかなり難しい問題だと思います。例えば、いじめの問題は進学校などでも起きますが、親は教育をして偏差値の高い高校に子供を入れて、将来エリートになってほしいと願っているかもしれません。そして、親の目線でも子供が素直でやさしいように映る場合も多いです。現に最近の学校の先生でもいじめの主犯が誰なのかわからないということも多いです。
そのため、親にとってわが子がとても「良い子」で、いじめをすることは全く予測することができないというような場合もあると思います。ですが、いじめを受けて自殺した子供の親がこの加害者側の言い分を全面的に納得することはできないと思います。どうしても「もっとあなたが子供をしっかりとしつけていれば、うちの子供が自殺することはなかった」と叫ぶと思います。
そこで、一定の妥当な基準が必要なのではないでしょうか。
個人的には、責任能力という観点からこの問題を考察するのが良いと思います。先ほどから繰り返し述べている「責任能力」とは、そもそも、「自己の行為の責任を弁識する能力」を言います。つまり、自分の行為が法律上どのような責任を生じさせるのか理解している能力です。ですが、この責任能力にはレベルがあります。具体的にいうと、店で万引きをしたとしましょう。この万引きが如何なる責任を生じさせるのか理解していることが責任能力を認める基準になりますが、「お店で物を盗んだらおまわりさんが来て僕を警察署に連れてっちゃう」と子供が理解していれば、子供は万引きの責任の意味が解っているので、責任能力があることになります。他方、「お店で物を盗む行為は、窃盗罪となり、これが発覚すれば警察に連行されて取調べがされ、有罪となれば刑務所に入ることになる」と理解している子供にも当然責任能力があります。
つまり、「責任能力がある子供」といっても、その中身の程度については大きな差があります。そうだとすると、「お巡りさんに連れてかれちゃう」という理解レベルの子供と「警察に連行され、刑務所に入ることもある」という理解レベルの子供では、行動及びその責任の意味認識の程度に大きな差があり、理解レベルが低い子供の方が、安易に人を傷つける行動に出る可能性は当然高いです。そのため、子供の理解レベル、言い換えると、年齢に応じて、親の監督すべき義務の内容も変わるのではないのでしょうか。
そうだとすると、少なくとも子供が中学生の場合には、親の監督義務は重大なものであり、安易に子供の日ごろの家庭内での言動を見て、我が子がいじめをしていないと予測しただけで、監督義務違反を否定するべきではないと思います。
これは一つの意見に過ぎません。なので、この意見が正しいという事では決してありません。一番重要なことは、いじめの被害者の方が納得できる加害者側の責任の取り方が実現されることです。