胎児傷害という言葉自体あまり聞きなれないものだと思います。法律にはちょっとした抜け穴があって、立法で解決すべき問題がいくつかありますが、胎児傷害の問題もその一つだと思います。
胎児傷害って何??
胎児傷害とは、胎児が未だ出生していない段階で母親である妊婦に外部性のショックが加わることで、胎児が身体に傷害を負って出生してしまうことです(「障害」ではなく「傷害」という文言をこの記事では使います)。
刑法上の問題点
胎児傷害が発生した場合には、刑法では傷害罪(204条)等に該当する可能性があります。204条は「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」と規定していますが、問題はこの「人」という部分です。
傷害罪における「人」には、胎児は含まれていません。詳説すると、傷害罪における「人」と言えるためには、少なくとも分娩により体の一部が母体から露出する必要があります(一部露出説という刑法上の支配的見解です)。そのため、未だ母体から露出していない胎児は、傷害罪の客体になりません。
過渡的措置と判例
ゆえに、例えば、妊婦である母親には何ら傷害がない場合で、胎児が腕をマヒしている状態で出生してしまったようなときには、傷害罪は成立しない可能性があります。
少し法律を勉強された方だったら、この結論には違和感を覚えると思います。それは、熊本水俣病上告審の決定(最決昭和63年2月29日刑集42・2.314)があるからです。
この最高裁決定では、汚染された魚介類を妊婦が摂取して胎児が傷害を負い出生後に死亡した事案で、企業に業務上過失致死罪(刑法211条)が成立するか争われました。
同決定では「業務上過失致死罪の成否を論ずるに当たっては、胎児に病変を発生させることは、人である母体の一部に対するものとして、人に病変を発生させることになるにほかならない。そして、胎児が出生し人となった後、右病変に起因して死亡するに至った場合には、結局、人に病変を発生させた後に人の死亡結果をもたらしたことに帰する」として、業務上過失致死罪の成立を認めています。
つまり、最高裁では、傷害行為(致死させる行為)である海を汚染し、魚介類を摂取させる行為の相手が妊婦という「人」であり、また、傷害及び結果が発生した時に胎児は出生している「人」となっているため、業務上過失致死罪が成立すると述べています。
解決されているの?
ではこれで、めでたし・めでたしと言って終わりにして良いのでしょうか。
実はこの決定にはかなりたくさんの批判があります。そもそも、最高裁が行った傷害行為と死亡結果が異なる客体でも良いという解釈は、刑法上本来ありえない解釈です。
(そもそも、身体の安全は、各個人が一人ひとり有する権利なしいしは自由です。)
また、このような理屈の話だけではなく、一番重要なことは、最高裁はあくまでも、公害訴訟における業務上過失致死についてだけ決定を出したに過ぎないということです。
別の言葉でいうと、例えば、隣人の人が毎日拡声器で暴言を言ってきて、妊婦がストレスを感じて、出生した子供が身体にハンデーキャップを抱えていた場合、その隣人が傷害罪の罪責を負うかは現状はっきりしていないのです。
むしろ、学説上の批判が強いことなどに照らすと、この場合、傷害罪が成立しない可能性があります。そうだとすると、隣人は罰せられずにのうのうと生活できることになってしまいます。
このような事は本当に納得できるのでしょうか。
現状答えの出ていない問題です。しかし、事件が起きてから法がないので裁けませんというのはあまりにも理不尽です。なので、この胎児傷害の問題については早いうちに立法により解決するのが得策だと思います。