5分で読める法律の豆知識

テレビや新聞などで政治から芸能スキャンダルまで幅広いニュースを見ます。しかし、法律のことについて詳しく書かれたものはあまりみません。なので自分で勉強してみました。個人的に面白いと思ったものだけ書くのであまり網羅性はありません。なので暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです。

落とし穴がある。建造物等以外放火罪における公共の危険の認識!

 

 

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 司法試験や公務員試験等の勉強をしていると刑法の放火罪は、重要なテーマになります。短答式・論述式試験でも放火罪は頻出なため、入念に勉強をする必要があります。

 

 ですが、放火罪は刑法総論等に比べて比較的に理解しやすい論点が多いため、暗記中心の勉強になることが多いです。

 

 建造物等以外放火罪における公共の危険の認識の要否というと、「はいはい。出ました典型論点」とか思う人が多いです。

 

 ですが、この公共の危険の認識の要否については、意外に知られていない落とし穴があります。

 

 あえて言いませんが、過去の司法試験でもこの論点について出題されたことがあります。

 

 そこで、落とし穴に落ちないために、今回は公共の危険の認識の要否について検討してみたいと思います。

 

 

 

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 そもそも、「公共の危険」とは

 まずは、建造物等以外放火罪について条文を確認します。

 

刑法110条です。

 同条1項は「放火して、前二条に規定する物以外の物を焼損し、よって公共の危険を生じさせた者は、一年以上十年以下の懲役に処する」と規定しています。

 

 そして、同条2項は「前項の物が自己の所有に係るときは、一年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する」と規定しています。

 

 では、「公共の危険」とは、どのような内容なのでしょうか。典型論点ですが確認します。

 

最決平成15年4月14日刑集57・4・445です。

「同法110条1項にいう『公共の危険』は、必ずしも同法108条及び109条1項に規定する建造物等に対する延焼の危険のみに限られるものではなく、不特定又は多数の人の生命、身体又は前期建造物等以外の財産に対する危険も含まれる」と判旨しました。

 

 

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 公共の危険の要否

 では、このような「公共の危険」を行為者は認識している必要があるのでしょうか。

 この点について、最判昭和60年3月28日刑集39・2・75は、以下のように不要としています。

 

「刑法110条1項の放火罪が成立するためには、火が放って同条所定の物を焼燬する認識のあることが必要であるが、焼燬の結果公共の危険を発生させることまでを認識する必要はないものと解すべきいである」と判旨しています。

 

 この理由については、色々ありますが代表的なものとしては、「よって」という結果的加重犯的な規定になっていること、そして、焼損の時期と公共の危険が発生した時期の違いです。つまり、焼損時点で既遂に達しますが、公共の危険が発生した時点が焼損の後の場合も当然にあります。つまり、犯罪が完成した後の事情を認識の対象とすることを要求するのは無理であることがあげられます。

 

 落とし穴

 ここまでは典型論点の説明ですが、ここからはあまり馴染みがない話だと思います。

 

 例えば、AがBに対して、自分が所有する車を燃やして廃棄するように依頼をしました。その場所は人里離れた1000台収容できる廃坑の駐車場で、周りには建造物もなく、通常車が駐車してあることはないような場所だとします。

 

 Bは依頼された通りにその廃坑の駐車場に行きました。ですが、その日は運悪く、他に3台3メートル間隔で駐車されていて、Bは三台目の隣にAの車に駐車をしました。そして、BはAの車を放火したところ、風の影響で三台目の車に火が燃え移ってしまい、三台目の車は、全焼してしまいました。

 

 この場合、Aの車を焼損させたことにつき、Aは建造物等以外放火罪の罪責を負うのでしょうか。

 

 これは正直即答するのが難しい問題だと思います。

 つまり、このケースでは、公共の危険は発生しています。また、判例の判旨を前提とすれば、当該公共の危険の発生の認識は不要なため、AもBと共に建造物等以外放火罪の共謀共同正犯(60条)の罪責を負うとするのが、原則です。

 

 ところが、公共の危険の発生の認識がない場合でも、責任主義の観点から、当該認識をすることがおよそ不可能な事情があれば、犯罪の成立が否定されるべきだとする考え方も主張されています。

 

 個人的にはこれは期待可能性の一種だと思います。そのため、この見解を採用するか否かについてまずは持論を展開し、その上で、この見解を取るならば、如何なる場合に責任阻却がされるのか検討をする必要があります。

 

 先ほどの例の場合には、そもそも、Aはわざわざ公共の危険が発生しない場所を選んでいます。そして、その場所は、通常、自動車が停車していない場所だったと言えます。

 

 他方、他の自動車が侵入できないような防護柵等があったのか否か、そもそも、その駐車場はAが所有する不動産ではなかったこと。言い換えるなら、Aが指示をしてBがなした自動車での侵入は単なる他人の土地に不法に入る行為であること(建造物侵入罪が成立するかどうかは不明ですが)。

 

 以上の事情を考慮して、公共の危険の認識が不可能であったと言えるのか否かを検討することになります。

 

 当然結論はどちらでも良いですが

 

 総括

 以上のように検討してきましたが、公共の危険の認識可能性の有無については、知らなかった人も多いと思います。

 

 「そんなのわからない。考えたくない!別にどうでもいい」

 

 という人も当然いると思いますが、考えてみること、数行でもいいので書いてみること、それがとても重要なことだと思います。

 

 

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