テレビのニュースを見ていると、殺人罪をして逮捕されたにもかかわらず、責任能力がなくて刑罰を科されないケースってたまにありますよね。
他方、DVとかを受けてて、我慢の限界を超えて。殺人罪をしてしまった人が実刑判決になったりしますよね。
これって何だか納得がいかない結論です。
そこで、今回は、罪を犯しても処罰されない責任能力の判断について、少し検討してみたいと思います。
1 責任能力とは?
そもそも、責任能力って何でしょうか?
刑法第39条は、責任能力に関して、第1項で「心神喪失の行為は、罰しない。」と規定し、同条第2項は「心神耗弱の行為は、その刑を減軽する。」と規定しています。
この点、一般的に心神喪失とは、精神の障害により事物の理非善悪を弁識する能力又はその弁識に従って行動する能力のない状態を言い、他方、心神耗弱とは、精神の障害により未だかかる能力が欠如しているには至っていないものの、その能力が著し減退している場合を言うとされています。
つまり、責任能力とは、是非弁別能力及び行為制御能力の2つの能力を言い、精神の障害により、これのどちらかまたは両方が欠如した状態を心神喪失と言い、著しく減退している場合を心神耗弱と言うことになります。
そして、このように精神の障害が重要な意味を持つ事から、責任能力の有無が争われる多くの事案では、被告人が統合失調症等の精神障害を抱えている場合となります。
では、統合失調症等の病を発症していれば、責任能力が否定され、心神喪失等と認定されるのでしょうか。
この点について、最高裁平成21年12月8日決定は、直ちには認定されい旨の判断を示しています。
2 判例の考え方
判例は、まず、責任能力の有無程度は、法律判断であることを示し、裁判所が医師の鑑定書の判断に拘束されない旨を判旨しました。
そして、責任能力の有無程度については、犯罪者の犯行当時の病状、犯行前の生活状況、犯行の動機・態様等を総合して判定すべき旨を判示しました。
その上で、犯罪者の犯行当時の病的体験が犯行を直接支配する関係にあったのか、あるいは影響を及ぼす程度の関係であったのか等精神の障害と犯行との関係、及び犯罪者の本来の人格傾向と犯行との関係の程度等を検討し、判断すべき旨を判示しました。
すなわち、判例は、統合失調症等の病を発症していることをもって直ちに、責任能力が否定されたり、責任能力が著しく減退しているとは判断せず、あくまでも精神の障害が行為当時に、行為者を支配していたのかどうか、支配していないとしても影響をしているのか否かとういう観点から検討をすべきとしました。
その結果、たとえ統合失調症等の精神障害を患っていたとしても、それが犯行に影響しなかったのであれば、完全な責任能力が認められ、心神喪失も心神耗弱も認められないこととなります。
3 結論の妥当性について
以上のとおり、責任能力について検討してきましたが、刑罰論の根本的な考え方に特別予防という考え方があります。
具体的には、刑罰は、罪を犯した者が自己の過ちを認識し、刑務所で服役する等の刑罰を受けることで、更生し社会に復帰すること、すなわち、再犯を予防することを目的としており、これを特別予防といいます。
かかる特別予防の観点から考えると、そもそも、心神喪失者は、自分が犯した罪の善悪を認識することができないため、刑罰を通じて教育改善を行い、再犯予防を達成することができません。
そのため、心神喪失者すなわち、精神の障害により、自分が犯した具体的な罪の意味を理解できない者、自身の行動を制御できない者の再犯を防止するためには、医学的に治療が必要をすべきであり、刑務所ではなく、病院で治療を受けることになります。
すなわち、再犯予防との関係で考えるならば、刑務所に入れるのが適切か、病院で治療をするのが適切かは、精神の障害により、犯罪者が犯罪をするに至ったのかどうかを適切に見極める必要があります。
したがって、判例の示した判断方式はこのような見極めをする上で、有益であり、結論として妥当だと言えます。
なお、実務的な運用だと、捜査段階で被疑者が明らかに心神喪失をしていると、検察官は起訴せず、そのまた病院と協力して、入院させ、治療を受けさせることも多いです、
そのため、起訴される事案のほとんどは、検察官が心神喪失ではないと判断していることが多い、これを裁判で弁護人が覆すのはかなり困難だと言えます。