5分で読める法律の豆知識

テレビや新聞などで政治から芸能スキャンダルまで幅広いニュースを見ます。しかし、法律のことについて詳しく書かれたものはあまりみません。なので自分で勉強してみました。個人的に面白いと思ったものだけ書くのであまり網羅性はありません。なので暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです。

護憲?改憲?憲法改正を問う前に憲法改正の限界とは?

 最近、憲法改正に当たって「護憲派ですか?」「改憲派ですか?」みたいな議論が巷でもあるみたいですが、そもそも、視点がズレテいるような気がしてなりません。というのも、「護憲派」=今の憲法から1ミリたりとも変えない派閥、「改憲派」=今の憲法から1ミリ以上変える派閥的な議論の組み方をしているような気がします。

 

 今比喩で、1ミリと言ったのですが、例えば、私達みんな考え方は違うわけですよね。例えば、「平和主義をなくして、常に臨戦態勢でいるべき」という考え方の人もいれば、そうではなく、「平和主義を維持しつつ敵国から攻撃された場合には、交戦自体はできるように軍隊を持つことを憲法で明記しよう」という考え方の人もいると思います。

 はたまた、現在の憲法から一切変えるべきでないとう考え方も当然あります。

 

 

 ですが、そもそも、憲法ってどこまで変えることができるのですか。

 

中学高校の時に、憲法の基本的な三大原理として、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という言葉をお題目のようにぶつぶつぶつぶつ暗記しましたが、これらの原理を放棄するような改正までできるのでしょうか。

 

今回は、護憲改憲の前提として、憲法改正の限界についての前提を調べてみました。

 

 

 二つの相反する考え方

 そもそも、憲法改正については限界ある説とない説があります。

 

 限界ある説

 まず、限界がある説の中には、色々なものがあります。一つの例として、憲法を制定した時点で、その基本原理が存在し、改憲は、当該基本原理の範囲内においてのみ変更を加えることができるにすぎないというものがあります。

 

 かなり難しいですが、憲法をつくるときに、ある思想を持って作るわけですよね。例えば、時代劇をみていると、お奉行様がでてきます。このお奉行様は、普段は、行政官として、書類整理や町民の陳情を聞いて、部下に「ああしろ。こうしろ」と指示しています。しかし、いざ町民が人を殺したりすると「お裁き」という形で、裁判までやっちゃいます。

 

 

 これ普通に気にせず見ていますが、現代いうと、「市長が裁判官までやってるぜ」的な感じですよね。普通に考えたらありえないです。

 

 と!「普通に考えたらありえない」と思うのが憲法の基本原理があるからです。

 

 つまり、日本国憲法でいうと、行政は内閣、司法は裁判官、立法は国会がやるべきだと規定していますが、ここでは、三権分立という基本原理があるからです。つまり、日本国憲法をつくる時に、三権分立という基本原理が存在しており、この基本原理を変更するような改憲はできない。

 とする考え方が、憲法改正の限界ある説の考え方です。

 

 改正の限界ない説

 他方、改正の限界はないとする説もあります。この説は、そもそも、思想や根本的な考え方は、変化するため、過去の一時点で決めたことを基準にそこから改正のできる範囲に縛りを加えてしまうと、時代錯誤の憲法になってしまうということが理由です。

 

 私個人は、今の憲法思想について特段文句がないのですが、例えば、国会議員が汚職ばかりしまくって、無駄な国会答弁ばかりして時間と税金を浪費していたと仮定します。あくまでも仮定です!仮定!

 

そのような状況では、「そもそも、皆で話合う意味ある?一人の優秀な人が決めた方が良くないか?国会を廃止しよう。内閣もいらない。」と言うような思想が定着すると思います。

 

 この場合、立法と行政を統合するので、三権分立に反する構造になりますよね。

こちらの思想が一般的であるにもかかわらず、憲法改正の限界ある説では、このような思想に合わせた改正ができません。

 

 つまり、時代錯誤の憲法を維持しなくてはいけなくなってしまいます。これがおかしいと思って唱えられているのが、憲法改正の限界ない説です

 

 どちらが正しいか?

 「どちらが正しいか?」というと、答えはありません。ですが、個人的には、「改憲」という言葉は、現在ある憲法に変更を加えるとういう意味でとらえるべきだと思います。そもそも、現在ある憲法と全く異なる憲法をつるくことは、「改憲」ではなく、「新憲法の樹立」になります。そのため、憲法改正限界ある説が妥当だと思います。

 

 何を考えるべきか?

 では、憲法改正の限界があるとして、何を考えなくてはいけないのでしょうか。

例えば、憲法9条を改正して軍隊を保持することに対して、「平和主義を放棄した」というようなことを言う人がいますが、アメリカもイギリスもフランスもみんな軍隊を持っていますが、平和主義を採用していないかというとそんなことは決してありません。

 

 当然これらの国も平和主義を採用しています。

 

 私は、「憲法9条を改正して軍隊を保持することを平和主義の放棄だ」と考えること自体を絶対に否定しません。それは、その人が、日本国憲法における平和主義は、憲法9条に明記する通りの武力保持を禁止していることが基本原理であるのか否か、そして、基本原理であるから変更をすべきでないのか、それとも基本原理ではなくても、変更をすべきではないとしっかりと検討した上で、その立場にあるとしているなら全く問題がないからです。

 

 ただ、安易に反対・賛成というのは全く意味がないように思います。

 

 そのため、まずは、憲法における基本原理とは何か、その上で、何を変更すべきであり、何を変更しなくてはいけないのか、を個別によく検討することが大切と思います。

 

 もっというならば、私は、今後憲法改正を政府から提案された場合、例えば、「憲法9条2項について○○という条項にする」というような改正案がたった一つだけ出されたときは、そもそも、民意をないがしろにしていると思います。

 

 私たちは、みんな何を憲法の基本原理と考え、どこを限界とし、何を変更すべきか、変更すべきではないか、違った意見を持つと思います。その上で、改正憲法が1つしかないと言うのは、かなり違和感があります。

 

一つの条項の改正につき複数の候補を出して、投票をさせる方式の方が、国民投票の実施方法に困難があることを差し引いても、全員が納得する答えを導き出せるような気がします。