5分で読める法律の豆知識

テレビや新聞などで政治から芸能スキャンダルまで幅広いニュースを見ます。しかし、法律のことについて詳しく書かれたものはあまりみません。なので自分で勉強してみました。個人的に面白いと思ったものだけ書くのであまり網羅性はありません。なので暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです。

護憲?改憲?憲法改正を問う前に憲法改正の限界とは?

 

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 最近、憲法改正に当たって「護憲派ですか?」「改憲派ですか?」みたいな議論が巷でもあるみたいですが、そもそも、視点がズレテいるような気がしてなりません。というのも、「護憲派」=今の憲法から1ミリたりとも変えない派閥、「改憲派」=今の憲法から1ミリ以上変える派閥的な議論の組み方をしているような気がします。

 

 今比喩で、1ミリと言ったのですが、例えば、私達みんな考え方は違うわけですよね。例えば、「平和主義をなくして、常に臨戦態勢でいるべき」という考え方の人もいれば、そうではなく、「平和主義を維持しつつ敵国から攻撃された場合には、交戦自体はできるように軍隊を持つことを憲法で明記しよう」という考え方の人もいると思います。

 はたまた、現在の憲法から一切変えるべきでないとう考え方も当然あります。

 

 

 ですが、そもそも、憲法ってどこまで変えることができるのですか。

 

中学高校の時に、憲法の基本的な三大原理として、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という言葉をお題目のようにぶつぶつぶつぶつ暗記しましたが、これらの原理を放棄するような改正までできるのでしょうか。

 

今回は、護憲改憲の前提として、憲法改正の限界についての前提を調べてみました。

 

 

 二つの相反する考え方

 そもそも、憲法改正については限界ある説とない説があります。

 

 限界ある説

 まず、限界がある説の中には、色々なものがあります。一つの例として、憲法を制定した時点で、その基本原理が存在し、改憲は、当該基本原理の範囲内においてのみ変更を加えることができるにすぎないというものがあります。

 

 かなり難しいですが、憲法をつくるときに、ある思想を持って作るわけですよね。例えば、時代劇をみていると、お奉行様がでてきます。このお奉行様は、普段は、行政官として、書類整理や町民の陳情を聞いて、部下に「ああしろ。こうしろ」と指示しています。しかし、いざ町民が人を殺したりすると「お裁き」という形で、裁判までやっちゃいます。

 

 

 これ普通に気にせず見ていますが、現代いうと、「市長が裁判官までやってるぜ」的な感じですよね。普通に考えたらありえないです。

 

 と!「普通に考えたらありえない」と思うのが憲法の基本原理があるからです。

 

 つまり、日本国憲法でいうと、行政は内閣、司法は裁判官、立法は国会がやるべきだと規定していますが、ここでは、三権分立という基本原理があるからです。つまり、日本国憲法をつくる時に、三権分立という基本原理が存在しており、この基本原理を変更するような改憲はできない。

 とする考え方が、憲法改正の限界ある説の考え方です。

 

 改正の限界ない説

 他方、改正の限界はないとする説もあります。この説は、そもそも、思想や根本的な考え方は、変化するため、過去の一時点で決めたことを基準にそこから改正のできる範囲に縛りを加えてしまうと、時代錯誤の憲法になってしまうということが理由です。

 

 私個人は、今の憲法思想について特段文句がないのですが、例えば、国会議員が汚職ばかりしまくって、無駄な国会答弁ばかりして時間と税金を浪費していたと仮定します。あくまでも仮定です!仮定!

 

そのような状況では、「そもそも、皆で話合う意味ある?一人の優秀な人が決めた方が良くないか?国会を廃止しよう。内閣もいらない。」と言うような思想が定着すると思います。

 

 この場合、立法と行政を統合するので、三権分立に反する構造になりますよね。

こちらの思想が一般的であるにもかかわらず、憲法改正の限界ある説では、このような思想に合わせた改正ができません。

 

 つまり、時代錯誤の憲法を維持しなくてはいけなくなってしまいます。これがおかしいと思って唱えられているのが、憲法改正の限界ない説です

 

 どちらが正しいか?

 「どちらが正しいか?」というと、答えはありません。ですが、個人的には、「改憲」という言葉は、現在ある憲法に変更を加えるとういう意味でとらえるべきだと思います。そもそも、現在ある憲法と全く異なる憲法をつるくことは、「改憲」ではなく、「新憲法の樹立」になります。そのため、憲法改正限界ある説が妥当だと思います。

 

 何を考えるべきか?

 では、憲法改正の限界があるとして、何を考えなくてはいけないのでしょうか。

例えば、憲法9条を改正して軍隊を保持することに対して、「平和主義を放棄した」というようなことを言う人がいますが、アメリカもイギリスもフランスもみんな軍隊を持っていますが、平和主義を採用していないかというとそんなことは決してありません。

 

 当然これらの国も平和主義を採用しています。

 

 私は、「憲法9条を改正して軍隊を保持することを平和主義の放棄だ」と考えること自体を絶対に否定しません。それは、その人が、日本国憲法における平和主義は、憲法9条に明記する通りの武力保持を禁止していることが基本原理であるのか否か、そして、基本原理であるから変更をすべきでないのか、それとも基本原理ではなくても、変更をすべきではないとしっかりと検討した上で、その立場にあるとしているなら全く問題がないからです。

 

 ただ、安易に反対・賛成というのは全く意味がないように思います。

 

 そのため、まずは、憲法における基本原理とは何か、その上で、何を変更すべきであり、何を変更しなくてはいけないのか、を個別によく検討することが大切と思います。

 

 もっというならば、私は、今後憲法改正を政府から提案された場合、例えば、「憲法9条2項について○○という条項にする」というような改正案がたった一つだけ出されたときは、そもそも、民意をないがしろにしていると思います。

 

 私たちは、みんな何を憲法の基本原理と考え、どこを限界とし、何を変更すべきか、変更すべきではないか、違った意見を持つと思います。その上で、改正憲法が1つしかないと言うのは、かなり違和感があります。

 

一つの条項の改正につき複数の候補を出して、投票をさせる方式の方が、国民投票の実施方法に困難があることを差し引いても、全員が納得する答えを導き出せるような気がします。

 

 

 

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交通事故で従業員がすべて責任を負うのですか?使用者責任と求償

 

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 最近ネットショッピングが定着しています。ワンクリックで次の日には、買った商品が自宅に届く非常に便利です。ですがその分、運送業者の方の負担が大きくなってきているようです。ヤマト運輸などの大手各社が料金の値上げをしたり時間帯の変更をしたりしています。個人的にはやむを得ないような気もします。

 

 ところで、運送業者の人が勤務時間中に事故を起こした場合、あるいは、セールスマンが交通事故を起こした場合に、運送業者の人は、過失があれば不法行為に基づく損害賠償責任(民法709条・710条)を負うことになります。

 

 ですが、使用者である会社も損害賠償責任(民法715条)を負うことがあります。つまり、被害者は従業員と会社のどちらに対しても損害賠償請求をすることが可能性です。

 では、従業員と会社いずれが最終的責任を負うのでしょうか。今回は、使用者責任(民法715条)における求償の問題について検討したいと思います。

 

 使用者責任

 使用者責任は、民法715条1項に規定されています。

 

 同条項は、「ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害を生ずべきであったときは、その限りでない。」と規定しています。

 

 まず、要件について検討します。「ある事業のために他人を使用する者」とは、使用関係における使用者という意味です。具体的には、一般的な仕事をする上で、雇用契約等の指揮監督関係を結び、他人を使っている者を言います。

 

 次に、「事業の執行について」とは、判例通説によると、被用者である従業員の職務行為のみならず、外形的に見て職務範囲に含まれているものを言います(ただし、取引行為的不法行為に限ると言う説もあります。)

 

 ここで争いがあるのは、例えば、会社の車を本来禁止されているのに私的な用事などに使って交通事故を起こした場合です。このケースでは、「事業の執行について」に該当するか微妙です。ですが、通常の営業時間内に移動のために車を運転しているときは、「事業の執行について」の要件を満たすことがほとんどです。

 

 そして、「第三者に加えた損害」とは、従業員の職務執行中の行為によって生じさせた第三者の損害を指します。

 

 最後に「使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害を生ずべきであったときは、その限りでない。」と使用者の免責規定を置いていますが、これはほとんど認められません。

 

 以上のように各要件を検討しましたが、基本的に職務執行中に、従業員が交通事故を起こせば、使用者である会社は損害賠償責任を負うことになります(民法715条1項)。

 

 

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 求償

 では、使用者責任が認められるとして、会社は被害者に対して損害賠償をした場合に、従業員に被害者に支払った分だけのお金を請求できるのでしょうか。これがいわゆる求償の問題です。

 

 そもそも、使用者責任の根本的な考え方は、代位責任だと解されています(多数説前提)詳説すると、使用者は被用者を使って利益を受けています。そのため、被用者が職務執行中に生じさせた責任については、被用者に代位して責任を負うべきだとされています。

 

 事実上の必要性から考えても、従業員等の被用者よりも会社等の使用者の方がお金を持っています。つまり、損害賠償請求した場合に、被用者だけにしか請求できないとすると、とりっぱぐれる可能性がります。使用者は被用者を使って利益を得ているので、使用者にも賠償責任を負わせて、被害者がとりっぱぐれるのを防げることになります。

 

 そのため、被害者賠償の視点からみれば、民法715条はとても有益です。

 

 ですが、使用者はあくまでの被用者の代わりに被害者賠償をするにすぎないため、使用者が賠償をした後は、被用者に対して求償を請求できるのが原則です。

 民法715条3項は「使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない」と規定しており、明示的に使用者が被用者に求償請求できることを規定しています。

 

 ところが、世の中に本当に真っ白なホワイトな会社はあるのでしょうか。週休2日で、有給は全て消化できます。また、残業手当は全て役職に関係なく滞りなく支払います。月の残業範囲も法的基準内を完璧に守っており、極力残業はさせません。常に、ベストな状態で従業員が働ける環境を整えています。という会社はほとんどありません。全ての条件を完璧に見たし、かつ法の規制よりも厳格で良好な内部基準を設定し、素晴らしい環境を整備している会社はほとんどありえないと思います。

 

 ブラックという意味ではなく、完全な従業員ファーストの会社はあまりありませんよね。

 

 つまり、場合によっては従業員が交通事故を起こしても仕方がないような環境だった可能性もあります。そのため、使用者が被用者に対して、全額求償を求めるのが相当ではない場合もあります。

 

 そこで、判例では、「使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償をすることができる」とされています(最判昭和51年7月8日民集30・7・689)。

 

 したがって、使用者が被用者に全額求償をすることができない場合もあります。

 

 逆求償

 また、民法上被用者が使用者に求償できる明示的な規定はありません。ですが、講学上、被用者から使用者に対して求償をすることができるとする説も多いです。これを逆求償といいます。

 個人的には先ほどの判例の基準で、使用者の求償が制限される場合があれば、逆求償も認められる可能性があると思います。

 

 総括

 以上のように使用者責任と求償の問題について検討してきました。従業員の人で交通事故を起こした場合に、会社から全面的な求償を請求されている場合、ケースによっては、全額会社に支払う必要がないこともあるので、弁護士に相談をすることが大切です。

 

 

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株式概論。会社法上の株式とは

 

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    法律的にみると株式とはなんでしょうか。そこで、今回は株式がどのようなものであるかざっくり検討してみたいと思います。

 

1  株式とは?

 まず、株式とは、細分化された割合的単位の形をとる株式会社の社員たる地位を言います。

 ここで重要なことは、社員たる地位という部分です。「社員」というと従業員という意味で一般的に用いられますが、会社法上の社員とは、出資者や所有者というようなニアンスで用いられています。そして、株式会社の出資者・所有者は株主です。つまり、株式会社の社員たる地位である株式を保有していることは、株主であることを基礎づける前提となります。

 

 具体的に言うと、会社を設立するときに、お金を出資して株式を取得すれば(厳密には引受けと言いますが)、株式会社の社員すなわち株主になります。また、証券会社を通じて、株式を買った場合も同様に、株主になります。

 この株主になることは、株式を取得したからですよね。という意味で株式は、株主であることを基礎づける前提ということになります。

 

 また、細分化された割合的単位という言葉を使っていますが、ざっくりいうと「誰であっても少額から出資をできる」という意味になります。

 そもそも、会社を設立運営するときに、自分のお金だけでまかなうことって難しいですよね。そこで、銀行から借り入れるか株式を発行してお金を集めようと考えることが多いです。

 

 この場合、1口1000万円で10口合計1億円集めるよりも、1口10万円で1000口合計1億集める方が資金を集めやすいことが多いです。

 

 その際に、特定の人のみしか発行株式を買えませんよというようにすべきではなく、だれでも買えるようにした方が、資金を集めやすいのでよいというのが根本的な発想です。また、この際に同じ株式を100株買った人同士で、同じ株式にもかかわらず、ある人は1株配当1円で、他方の人は、1株配当500円にするのは、平等に反しますよね。そこで、同じ株式を所有している株主を同じように扱わなくてはいけません。これを株主平等の原則(会社法109条)です。

 

 このようにだれでも株式を取得できるようするにすること、及び、株主平等の原則があることから、株式は、細分化された割合的単位である必要があるとされました。

 

 

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2  共益権と自益権

 では、具体的に株式にはどのような権利があるのでしょうか。株式には、大きく分けて二つの権利があります。共益権と自益権です。

 

 共益権とは、会社の経営に参加し、会社の監督是正をすることができる権利です。自益権は、会社からの利益を個人として受け取る権利です。

 

 かなり分かりずらいですよね。ここでは、株主と会社との関係を理解することが大切です。

 所有と経営の分離という概念があります。色々な説明が可能だと思います。

 

 先ほど、だれでも株主になれて少額の出資からでも可能とするために、株式という方法が用いられていると言いましたが、そうだとすると、株主は潜在的に多数になることが予定されていて、この全員を経営執行者例えば、取締役や代表取締役にするのはできるでしょうか。はっきり言って無理です。というのも例えば、株主が100人いてこれを全員経営執行者にしてしまうと、皆違うことを考えていて、直ぐに内部分裂を起こしてしまいます。そのため、株主全員を経営執行者にすることは、かえって株主の利益を害することになります。

 そこで、株主で話合って経営執行者を決めて、会社運営をみんなで決めた人に任せようということになりました。これが所有と経営の分離です。

 

 以上を前提に検討します。

 まず、共益権とは、会社の経営に参加し、監督是正する権利だと言いました。この共益権としては、株主総会における議決権や、株主総会決議の取消しの訴え(会社法831条)を提訴する権利等があります。

 つまり、議決権は、経営執行者である取締役を選任する決議をする時に、投票をする権利です。これは選任という方法によって、会社の経営に参加していることになります。

 また、取り消しの訴えについては、不正な決議を排除することで、監督是正を行うことになります。

 

 

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 他方、自益権とは、会社から利益を受け取ることができる権利です。自益権には代表的なものとして、剰余金配当請求権と残余財産分配請求権というものがあります。名前は難しいのですが、中身は非常に簡単です。

 剰余金配当請求権は、配当を受ける権利です。例えば、株式を買っていると、1年に一回配当を受けることがありますよね。例えば、1株1円で1000株を買っていたら、配当として1000円受け取っていますよね。これを基礎づけるのが剰余金配当請求権です。

 

 他方、残余財産分配請求権は、会社が清算をするときに余った財産を株主全員で分けることを基礎づける権利です。

 

 もっとも、ここでの残余財産の分配は、債権者等への支払いを負えて余った財産を分けるという意味のため、倒産をした場合には、分配されるべき財産がないこととなります。

 

3  株主優待制度

 以上のように株式が有する共益権と自益権との内容について検討してきました。では、株主優待制度とはどのようなものでしょうか。

 

 株主優待制度は、会社が株主に対して商品や金券等を提供するサービスです。しかし、この株主優待制度自体は、法律上明示的な規定があるわけではありません。そのため、自益権や共益権に基づいて自己への提供を会社に求めることはできません。

 

 具体的に言うと、自分が保有している株式で、例えば、「5000円分相当ギフトを9月にプレゼント」や「1000円分お食事券プレゼント」的なやつありますよね。他方、他の保有している株式銘柄については、「株主優待はありません」というものもありますよね。

 株式を売買している人なら良くご存じだと思いますが、この場合、「株主優待はありません」とする会社に対して、自益権に基づく要求をすることはできません。

 

 この場合、株主総会で「優待制度導入の議案」を提出し可決された場合には、会社はその議案に則り、株主優待制度を実行しなくてはいけなくなりますので、どうしても株主優待生制度を導入してほしい場合には、株主総会で頑張ることが大切です。

 

 では、株主優待制度を導入している会社の株式を保有しているときに、不満を感じたことはありませんか。

 多くの株式会社では、持ち株数に応じて優待の内容を変えています。例えば、100株保有の株主には「お食事券1000円分を1枚プレゼント」、300株の株主には「お食事券1000円分を3枚プレゼント」等です。

 このような優待は同じ株主なのに異なるプレゼントを受け取ることになるので、不平等感があるかもしれません。

 

 実はこれ、場合によっては違法になることがあります。

 

 そもそも、会社法109条1項で株主平等の原則を規定しています。同原則では、会社は、株主をその有する株式の内容及び数に応じて平等に扱わなくてはいけないことを規定しています。株主平等の原則は、株式の内容及び数に応じて判断されるものです。

 

 株主優待制度自体は、株式に当然含まれる法的制度ではないので、株主平等の原則が直ちに妥当するわけではありませんが、株主を基準に交付されるため、同原則が適用されるべきと言えます。そのため、株主優待制度の内容に合理性がない場合には、株主平等の原則に反し違法になります。

   

   小難しい感じに言っていますが、そもそも、株主優待制度は、株を買う時に考慮される事情ですよね。これを言い換えると、出資を促進するということになります。そのため、株主優待制度を用いることは会社にとって必要性があると言えます。また、100株よりも1000株出資してもらった方が会社にとっては資金集めになり、かつ、安定した株主の獲得につながるので、株式数に応じた別異取扱いをすべき必要性もあると言えます。

 

 ですが、例えば、100株から1000株までの株主については「お食事券100円分を1枚プレゼント」としておいて、1000株以上の株主については、「お食事券1万円分を10枚プレゼント」というような制度を作ってしまうと、相当な限度を超えて、不合理だと言えます。

 このようなケースでは、株主平等の原則に反する可能性が高いです。

 

4   総括

 以上のようにうんぬんかんぬん書いてきましたが、実質的にみれば個人投資家の人の多くは、売買差益と配当にしか興味がないと思います。私もぶっちゃけ言うと、保有している株式で、株主優待制度が導入されるよりも、10円株価が上がってくれた方が全然嬉しいです。なので、自益権とか共益権についてはあまり興味がないかもしれません。ですが、買っている株式会社で不当な財産の流出をしている場合や本来もらえるものが貰えなかったりするかもしれません。

 

 

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敷金の性質、賃貸借契約の終了時の敷金の検討

 

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 大学へ進学するときや転勤するときに、新規にマンションを借りるといることがありますよね。どこに住むか、「風呂とトイレは別がいい」、「オートロックじゃなくちゃやだ」等々人それぞれこだわりの条件というものがあると思います。

 

 いくつか物件を見ていざ契約となったときに、「敷金1か月分」等の項目がありますよね。「賃料のほかに何でお金を払わなくちゃいけないんだ!」と少し腑に落ちない気持ちになりますが、そもそも、敷金とは何でしょうか。今回は、賃貸借契約をする時に交付する敷金の意味について検討してみたいと思います。

 

 賃貸借契約と敷金の関係

 そもそも、賃貸借契約は、民法601条に規定されています。早速条文を見てみましょう。民法601条は、「賃貸借契約は、当事者の一方がある物の使用及び収益を相手方にさせることを約し、相手方がこれに対してその賃料を支払うことを約することによって、その効力を生ずる」と規定しています。

 

 難しいですね。しかし、内容はさほど難しくありません。要するに、貸す人を賃貸人といい、借りる人を賃借人と言います。その上で、賃貸人は、賃借人に対して貸す物である賃借物の使用及び収益をさせることを約束して、その代わりに賃借人は賃貸人に賃料を支払うことを約束することで賃貸借契約が成立することになります。

 

 例えば、マンションを月に10万円の内容で借りたとします。賃貸人は、賃借人に対してマンションを引き渡して使用ができる状態にする必要があります。他方、賃借人は、賃貸人に対して、使わせてもらう代わりに、10万円を月々支払うということです。

 極論、マンションを借りていれば、普段やっていることです。

 

 少し余談ですが、マンションの換気扇が壊れたり水道にトラブルがあった場合には、意図的に壊したものでなければ、賃貸人が、その修繕をすべき義務を負っています。そのため、壊れたらまずは大家さんなどの賃貸人に直して下さいと請求することが大切です(民法606条)。

 また、自分で直した場合にも、掛かった費用分だけ、賃貸人に請求することができます(民法608条1項)。

 

 さて、本題に戻りますが、敷金契約は民法上どこに規定されているのでしょか。というと規定されていません。

 民法には、13個の契約が明示的に規定されており、この明示されている契約を典型契約と呼びます。他方、このような規定がない契約であっても、当事者間で合意すれば、法律が禁止していない範囲(強行法規)で、契約内容を決めて締結することができます。

 このような契約を非典型契約といい、敷金契約もこれに当たります。

 

 したがって、マンションを借りるときに賃貸借契約と敷金契約の二つの契約を理論上していることになります。

 

 

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 敷金の性質

 では、敷金契約とは、実際なぜ行うのでしょうか。そもそも、敷金とは、賃貸借契約を締結してから、終了し明け渡すまでの間に生じる賃借人の債務及びその履行を担保するためのものです。 

 

 例えば、賃料の滞納が起きた場合で、賃借人が賃料を払わないまま夜逃げしてしまったとします。この場合、賃貸人は敷金から滞納された賃料を補うことができます。このようなケースを想定して交付が要求されているのが敷金です。

(ちなみに、賃料を滞納した時に、敷金で補てんするかどうかは、賃貸人の自由なので、賃借人の側から賃貸人に対して補てん請求をすることはできません)

 また、実質的な機能としては、敷金として数か月分の賃料額を交付させることで、賃借人になる人が、お金があるかどうか判断するためという点もあげられます。

 

 つまり、月額10万円の賃料でマンションを契約するときに、10万円の敷金を合わせて交付するように要求した場合、借りるときに20万円賃借人は賃貸人に交付しなくてはいけません。これができない場合、賃貸借契約を締結しても途中で滞納が起きたりするので、大家からすると非常にめんどくさい状況になる可能性が高いです。

 

 そのため、借りる人が将来的に賃料を滞納しないということを判断するために、敷金の交付を要求していると言えます。逆にいうと、半年や一年などの比較的短い期間借りる場合には、わざわざ敷金という担保を取る必要性が必ずしも高くないので、不要としているところもあります。

 

 これが敷金のざっくりした意味になります。

 

 退去する場合

 では、退去する場合に、敷金はどうなるのでしょうか。敷金は、そもそも、契約が成立し終了後の明け渡しまでに、生じる賃借人の債務の履行を担保するものです。そのため、賃借人が滞りなく債務を履行をしている場合には、敷金をそのまま賃借人に返還されることになります。言い換えると、賃借人は、賃貸人に対して敷金返還請求権を有することになります。そのため、賃借人は、賃貸人に対して、「敷金10万円を返して下さい」と賃貸人に要求できます。ここは退去するときに絶対に忘れないで下さい。

 

 もっとも、この敷金返還請求権は、マンションの明け渡しによって初めて生じるため、退去前に「敷金を返して」とは請求できません。そのため、大家さんにカギを返してから請求するのが良いです(詳しくは、最判昭和49年9月2日民集28・6・1152を参照して下さい)。

 

 

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 総括

 以上のように敷金は、担保的な機能を有することになり大家や不動産管理会社にとっては、とても重要なものです。ですが、賃借人にとっては最初にお金を用意しなくてはいけないので、負担が大きいです。

 個人的には、自分自身の年収が高い場合や保証人を付けられ保証人の年収が高い場合には、大家さんと交渉して敷金をなくしてもらうか、または、3か月分を1か月分に減らしてもらう交渉をすることもありだと思います。

 

 ちょっと発展

 ここからは、興味のない方は読み飛ばし頂けると幸いです。

法律を勉強していると、敷金の処理って結構めんどくさいですよね。なので、ざっくり整理します。

 

  ①明渡義務と敷金返還義務の同時履行関係

 先ほどの判例の通り、明渡義務と敷金返還義務の同時履行関係は認められていません。明渡義務は、先履行となっています。ですが、個人的には、ケースにもよりますが当事者間の公平を考慮して、同時履行を認めた方が良いケースもあると思います。例えば、1年分の敷金を交付している場合で、かつ、賃借人が借りている物件を現在使用する必要性が顕著な場合で、契約終了原因が、賃料不払いで、その賃料不払い額が、敷金で担保できる範囲内の場合には、例外的に当事者間の公平を図り、同時履行関係を認めた方が妥当な解決を導ける気がします。

 

 ②賃貸人の変更の場合

 対抗力を賃借人が有する場合には、賃借物の譲渡により賃貸人が変更されますがこの場合、敷金は一度清算され残額がある場合には、譲受人である新賃貸人に承継されます。

 

 ③賃借人の変更の場合

 この場合、賃借人の変更によって、敷金は清算されて残額がある場合は、旧賃借人に返還されます。イメージとしては、旧賃借人を物上保証人と同じような地位に立たせることを回避するためです。 

 

 

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 誤想防衛。勘違いは許されない?刑法36条の話

 

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 勘違いはだれにでもあることです。「俺は、できるビジネスマンだ。まぁ周りも俺のことをイケてるということは知っていると思うけど、あえて謙虚に振る舞う俺は、すごく最高」とか思っている人が、実は、上司や同僚からは「仕事もしないのに鏡ばかり見て、本当に邪魔だな。声は大きいけど何を言っているのかわからない残念なやつ」と陰口を言われているかもしれません。

 

 また、気になる職場の女の子に「今度、是非ご飯行きましょう」と言われて、「おっ!俺に気があるな!モテルって本当につらい」とか思っていたら、女の子には婚約者がいて、ただの社交辞令だったとか。

 

 ある意味本当につらいです。

 

 ですが、道を歩いていて、チンピラに絡まれていると思ったら、実は単にアンケートの協力依頼だったにもかかわらず、相手を殴ってしまった場合はどうでしょうか。相手が怪我をすれば、客観的に見れば傷害罪(刑法204条)に当たります。

 

 ですが、そのアンケートを依頼してきた人がすごく体格が大きく、筋肉モリモリでドスの聞いた声で、「あんちゃん。早くやれや。はやく」的な感じで言ってきたらどう思いますか。 

 

 怖いですよね。「早くやらない」と、「はい。少ししか入っていませんが」と私だったらお財布を渡してしまいます。

 しかし、勇敢な人は殴り返すかもしれませんね。

 

 このようなアンケートの依頼といっても、様々な状況があります。

脅されていると勘違いして、防衛行為として殴った場合には、犯罪の成立が否定されることはないのでしょうか。そこで、今回は、誤想防衛という勘違い事例について検討したいと思います。

 

 故意のお話

 刑法上規定されている犯罪には、故意犯と過失犯というものがあります。

では、故意とは、何でしょうか。

 故意とは、自分のやっていることが犯罪だと認識していることです。これを細分化すると、生の事実の認識、構成要件該当性の認識ということになります。この二つが故意の内容であることについては、争いがありません。

 具体的にいうと、「人を殴ること」を認識している。これが生の事実の認識です。そして、「人を殴ることが暴行罪あるいは怪我をすれば傷害罪に該当すること」を認識していることが、構成要件該当性の認識です。

 

 と!難しく言っているのですが、簡単にいうと、自分が今何をしていて、それが犯罪だと知っていれば、故意が原則認められることになります。

 なので、人を殴っているのに今自分が何をしているのかわからないということはほとんどないです。また、それが「暴行あるいは傷害になるな」と思わない人はなかなかいないですよね。

 そのため、原則、人を殴れば故意があることになります。

 

 

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 違法性の意識可能性

 ですが、生きていれば殴ることについて悪いと思わないケースもあります。例えば、相手が殴りかかってきたり、ナイフで脅してきた場合です。このような侵害行為がある場合には、殴り返したとしても正当防衛(刑法36条1項)となり、犯罪が成立しないことになります。

 

 では、このような侵害行為がなかったのに、「殴られている」あるいは「脅されている」と勘違いして、殴り返した場合は、どうでしょうか。頭なの中の状態は、正当防衛の時と同様ですよね。

 

 このような場合に、殴ることが悪い事だとは思わない。すなわち、違法性の意識が欠如している場合もあります。このような違法性の意識が欠如している場合に犯罪は成立するのでしょうか。

 

 学説や判例の考え方

 多く学説や判例では、違法性の意識がない場合でも、犯罪は成立するとしています。この結論は、個人的には正しいと思います。

というのも、「ねぇねぇ」と話かけた時に、相手がおっちょこちょいでいきなり殴り掛かってきたらたまったものではありません。そのため、勘違いした人を直ちに、無罪放免とするのは一般感覚からも大きくずれます。

 なので、違法性の意識がない場合について、即座に無罪放免とするべきではありません。

 

 しかし、場合によっては犯罪を成立させることに躊躇する場面もあります。例えば、冒頭の例で、チンピラ風の強面の人が、ドスの聞いた声で、「あんちゃん。早くやれや。はやく」と言ってきた場合にはどうでしょうか。強面の人は、強要しているつもりも脅迫しているつもりも全くなくても、勘違いしちゃいますよね。このようなケースでは、殴ることが正当防衛であると思ってもやむを得ないような気がします(認定者によって個人差もありますが)。

 

 このようなやむを得ない状況、言い換えると、違法性の意識の可能性がない場合にも犯罪は成立するのでしょうか。ここでは、学説が非常に強く対立しています。

 

 一つの学説では、違法性の意識可能性は、故意の内容として必要なものであり、違法性の意識の可能性がない場合には、故意が認められず、単なる暴行であれば、犯罪は成立しないことになります。もっとも、相手が怪我をすれば、過失傷害罪(刑法209条:30万円以下の罰金又は科料になります)が成立する可能性はあります。

 

 他方、学説の中では、違法性の意識可能性は、故意の内容ではなく、責任阻却事由とする見解があります。

 責任阻却事由と難しい言葉を使っているのですが、要は、違法性の意識可能性がない場合には、そもそも、犯罪者としての責任を負う立場にないので、犯罪自体が成立しません。つまり、過失傷害罪も成立しません。

 

 以上が学説の代表的な対立ですが、判例はというとよく分らないというのが本当のところです。判例は、一貫して違法性の意識及びその可能性がないことを理由に故意は否定されないとしいていますが、正当な理由があれば、故意は認められないこともあるというようなざっくりした基準をとっています。

 そのため、ケースバイケースで故意が認定されたり、否定されたりするので、極論裁判をやってみないとわからないというのが現状です。

 

 

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 総括

 以上のように小難しい話をしてきたのですが、結局のところ勘違いして殴り返した多くのケースでは、そもそも、勘違いした人に落ち度がある場合が多いです。そのため、暴行罪や傷害罪が基本的には成立します。

 

 もっとも、勘違いして人を殴ることと、相手をいためつけてやろうと思い殴る場合では、同列に扱うべきではないと思います。そのため、量刑判断の中で勘違いしたということは、刑を軽くする方向性に働く材料となります。

 

 

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ボクサーの反撃!正当防衛の限界!やりすぎのラインは?

 

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 昔、ボクサーが侵害を受けてやり返したら、正当防衛は成立しないということを聞きました。確かに、ボクサーは一般の人よりも身体能力が長けているので、ボクサーが反撃することと一般人が反撃することを同列に扱ってはいけないと思います。ですが、例えば、相手が包丁などで切り付けてきた場合や、木刀を持って殴りかかってきたにもかかわらず、ボクサーだから、正当防衛は成立しないという結論になるのでしょうか。

 

 そこで、今回は、ボクサーはいかなる状況でも正当防衛が成立しないのか。正当防衛の限界ラインとともに検討したいと思います。

 

 正当防衛とは

 正当防衛は、自己又は他人に対して危害が加えられた場合に、それを排除する行為を行った場合に、例えその排除行為が、暴行罪(刑法208条)あるいは傷害罪(刑法204条)に該当するものであっても、犯罪の成立を否定する規定です。

 

 要するに、本来理由の有無を問わず、人を殴ったら暴行罪あるいは、傷害罪になるのが大原則です。それが防衛としてなされた場合には、一定の条件の下、人を殴る行為に犯罪が成立せず、適法となることがあります。これが正当防衛です。

 

 刑法36条1項に規定されています。

 刑法36条1項は、「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するために、やむを得ずにした行為は、罰しない」と規定しています。

 これを三つの成立要件に分けると、「急迫不正の侵害」、「防衛をするため」「やむを得ずにした行為」に分けることができます。

 

 個別の要件については、「正当防衛ってそもそも何?」というブログを参照して頂ければ幸いです。

 

 今回は、「「やむを得ずにした行為」が問題になるので、この要件について検討します。

 

 

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 「やむを得ずにした行為」

 やむを得ずにした行為とは、防衛の方法として、質的量的に相当性を有することです。言い換えると、防衛行為が侵害を排除するために必要最小限度であることが必要とされています。

 

 どうして必要最小限度である必要があるのでしょうか。

 そもそも、私たちは、人を殴ったり、怪我をさせてはいけません。人を殴り怪我をさせれば、傷害罪(刑法204条)が成立し、刑罰を科させるのが原則です。

 

 それにもかかわらず、正当防衛が成立した場合は、たとえ人を殴ったとしても、違法性がなくなり、犯罪が成立しないことになります。つまり、正当防衛が成立すると、おとがめなく無罪放免です。極論を言うと、正当防衛が成立するかどうかで、人を殴ったときに、刑務所に入るか、無罪放免になるか決まることになります。

 

 そうだとすると、広く正当防衛の成立を認めてしまうと、本来犯罪になる殴打行為が適法ということになってしまい、皆無罪放免になってしまい、少し絡まれただけで、相手をボコボコニにして、最悪死亡させても、無罪放免万歳的な世の中になってしまいます。

 

 そんな世の中いやじゃないですか。少なくとも、裁判所はそのような世の中にすべきではないと考えています。

 そのため、裁判所は、正当防衛が成立する範囲を限定して、「やむを得ずにした行為」といえるためには、侵害を排除するために必要最小限度である必要があるとしています。

 

 必要最小限度って何?

 では、必要最小限度とはなんでしょうか?ここでは二つの重要な考え方があります。

 

 一つ目は、武器対等の原則です。武器対等の原則とは、侵害を受けた場合に、防衛行為は、侵害と同程度の排除手段である必要があるとの考え方です。例えば、素手で殴りかかってきた侵害者に対して、マシンガンで応戦するような場合には、正に素手対マシンガンで、武器が対等であるとは言えません。そのため、このような場合には、必要最小限度とはいえず、「やむを得ずにした行為」に当たりません。

 

 もっとも、この武器対等の原則の「武器」とはあくまでも比喩的に使っているものに過ぎません。

 

 身長・体重・年齢、そして、防衛に用いた道具の性質、用法等が総合的に考慮されることになります。そのため、素手の相手に対してナイフを用いたとしても、直ちに武器対等ではないと判断されるわけではありません。

 

 例えば、判年齢が若く体格に優れている侵害者が、老人に対して、ファイティングポーズをとって迫ってきた場合に、老人が包丁で「切られたいのか!」といって脅迫をして応戦することは、必要最小限度と言え、「やむを得ずにした行為」に当たるとした判例もあります(最判平成元年11月13日刑集43・10・823)。

 

 また、二つ目に重要なのは、より強度ではない手段がある場合には、そちらを選ぶべきだとする考え方です。例えば、チンピラに絡まれた際に、自動車に乗って逃走したところ、チンピラがボンネットに乗って、脅してきたケースで、自動車に乗った地点から500メートル先に交番があるにもかかわらず、交番の前で停車せずに、そのまま猛スピードで自動車を走行させて、急停止するなどしてチンピラを振り落す場合があります。

 

 この場合、交番の前で停車すれば警官が駆け付け侵害を排除することができたと言えます。それにもかかわらず、より強度な手段である猛スピードでの走行及び急停止を選択しています。そのため、このようなケースでは、より強度ではない手段を用いるべきであったとして、必要最小限度とはいえず、「やむを得ずにした行為」に当たらないことになります。

 

(なお、上の例は、見方を変えれば、質的過剰か量的過剰かという視点でも検討ができますが、個人的には、質的過剰あるいは量的過剰と認定する過程で、武器対等の原則、より強度でない手段の有無という考え方を使うのが良いと思います。)

 

 

 ボクサーがやり返す場合?

 では、防衛行為者がボクサーの場合はどうでしょうか。実は、ボクサーであることから直ちに、正当防衛の成立が否定されることにはなりません。

 

ボクサーであることは、先ほどの武器対等の原則、より強度でない他の手段の有無の中で考慮される事情になると思います。

 

 例えば、ボクサーは、プロライセンスを持っていれば特にそうですが、身体能力が一般人と比べてずば抜けています。そのため、一般人が素手で侵害行為をしてきた場合には、最初から有利な状態にあると言えます。ですが、一般人が素手で殴ってきた時に、配慮して、ボディーや顔面などを手加減して殴るなどの防衛行為をすれば、必要最小限度といえると思います。

 

 しかし、勢いに任せて、ワンツーを数十回にわたってやることや、ガゼルパンチやデンプシロール等の技を繰り出すのは、そもそも、侵害を排除するために必要な行為とは言えないと思います。

 

 そのため、このような場合には、必要最小限度とは言えず、「やむを得ずにした行為」には当たりません。

 

 また、これは相手が包丁や木刀を持っていた場合も同様で、プロボクサーであることが重要ではなく、プロボクサーとしてどのような防衛手段をとったかということが重要になります。

 

 要するに、ゲームセンターのパンチングマシンをこの前久々にやりまた。結果は、私の場合、「100」だったのですが、素人の私のパンチ力が100だとします。ボクサーが本気で殴ったら300とか500とか1000出るかもしれません。

 

 そうだとすると、ボクサーであっても、素人の私と同じパンチ力の「100」でやり返す分には、手数が多いとか急所を狙い撃ちまっくた等の事情がないかぎり、一般人の防衛行為と同じレベルですよね。そのため、必要最小限度と言え、「やむを得ずにした行為」と言えます。

 

 正当防衛が成立しない場合

 仮に正当防衛が認められない場合には、傷害罪(刑法204条)等の犯罪自体は成立します。しかし、刑法36条2項の過剰防衛になり、任意的に刑が減軽され、免除されます。

 

 総括

 このように正当防衛が認められるかどうかの基準は、「やむを得ずにした行為」すなわち、防衛行為が必要最小限度といえるかどうかにかかっています。そのため、殴られたとしても過剰な殴り返しや、必要ではない道具の使用は極力控えることが大切です。

 

 また、ボクサーであれば、自分自身の拳の威力は理解していると思うので、裁判になっても勝てる程度のやり返しを強く意識することが大切です。

 

 例えば、「私は、プロボクサーです。自分の拳の威力は良く理解しています。したがって、侵害者の急所は極力はずし、威力が出ないように腰を深く入れたり落としたりする形では打っていません。だから、○○という形でしか、反撃をしていません」というようなことを取り調べや裁判でも主張しても、警察・検察・裁判官が「なるほど!じゃあ仕方のない範囲だね」と認めさせる行動をとることが大切です。

 間違っても「力任せに殴りました」的なことにはならないように注意することが大事です。

 

 

 

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正当防衛ってそもそも何?積極的加害意思と攻撃意思

 

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 少し前になりますが、ヤンキーが主人公の映画を見ていました。主人公のヤンキーがめちゃくちゃ強くて、仲間想いでとても素敵でした。青春っていいですね。自分の青春時代を思い返すと、帰宅部で家に直帰して、とりあえず寝て、夕方起きてご飯食べて、深夜テレビを見ながらゲームやって、そして寝て・・・・・・・・

 

 はい。

 

 その映画の中で、主人公の仲間が敵対するグループにやられてしまい主人公が敵対するグループのアジトに乗り込んでいくシーンがありました。圧巻のシーンに思わず見入ってしまいました。敵地についた主人公は、仲間のことを想い「正当防衛じゃ!」と言って、殴りかかっていきます。とてもいいシーンですね!

 

これ間違えです。

 

 「空気よめねぇぇ!」と思いますよね。ごめんなさい。

ですが映画の演出だと正解ですが、法律的にみると間違えです。そこで、今回は、なぜ間違えなのか。正当防衛がどのような場合に成立するのか検討してみたいと思います。

 

 そもそも正当防衛ってなんですか

 正当防衛は、刑法36条1項に規定されています。早速、条文を見てみましょう。

刑法36条1項は、「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するために、やむを得ずにした行為は、罰しない」と規定しています。

 

 これも難しい言い回しを使っていますね。正当防衛としてイメージするのは、例えば、町を歩いていて、チンピラに絡まれて、殴られそうになったときに、やり返した場合というような感じではないでしょうか。

 

そのイメージが典型的な正当防衛のケースです。

 

 ですが、正当防衛が成立するかどうか微妙なケースも多いです。例えば、自分が殴られている時に頭にきて相手の顔面を殴り、相手が失神をしたのを認識した後に「コノヤロー!」と殴り続けた場合はどうでしょうか。また、先ほどの映画のように仲間がやられて頭にきて、やり返しに行った場合はどうでしょうか。この場合、成立するのではないかと考える人も多いと思います。ですが、正当防衛は成立しません。

  

 条文から正当防衛の要件をあえて抽出すると、「急迫不正の侵害」、「防衛するため」。「やむを得ずにした行為」と三つに分けられると思います(「急迫」と「不正の侵害」を分けてもいいですが、今回は三つで検討します)。

そこで、これら三つについての要件を使って、先ほどの例①②になぜ正当防衛が成立しないのか検討したいと思います。

 

 「急迫不正の侵害」

 そもそも、「急迫不正の侵害」とは、違法な侵害が現に存在するか、間近に迫っている場合を言います。ここでの違法とは、相手に殴られる場合や脅迫されるなどの犯罪行為のみならず、民事法等に違反する場合も含みます。これを難しく言うと、全法秩序に違反する状態となります。

 

 また、侵害は、現在化していなくても間近に迫っていれば良いです。例えば、チンピラに絡まれて殴られた時ではなく、胸倉をつかまれた時点で、すでに、侵害が間近に迫っています。

そのため、胸倉をつかまれれば、「急迫不正の侵害」があるということになります。

 

 

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 「防衛をするため」

 次に、「防衛をするため」とは、防衛行為であることを言います。つまり、殴りかかってきた侵害者に対にして、自分が殴り返す場合には、至極当然のように防衛行為のように見えますよね。学説上は、この客観的な行為態様のみで防衛行為だとするものもあります。

 

 ですが、殴ってきた人に対して、「こいつの息の根を止めてやろう」とか「いたぶりながら息の根を止めてやろう」とか思っていたらどう思いますか。怖いですよね。ただ怖いだけでなく、このようなことを考えている人の行為を防衛行為と言ってよいのでしょうか。

 

 そこで、判例や学説では、やり返す時に防衛の意思というものが必要だとしています。ですが、ここでの防衛の意思とは、「うちの命が危ない。何とか命だけでも守らんと(ガクガクブルブル)」的な積極的に身を守ることまで考えている必要はありません。

 

 ここでの防衛の意思とは、急迫不正の侵害を認識し、それを避けようとする単純な心理状態であればよいとされています。つまり、「この野郎。うちを殴ってくるな。えい!殴ってやる」的な侵害を排除して避けようと思っていれば、OKということになります。

 

 「やむを得ずにした行為」

 そして、ここが一番重要ですが、「やむを得ずにした行為」とは、防衛行為が相当な限度であること、言い換えると、侵害を排除するために必要最小限であることを指すと言われています(最判昭和44年12月4日刑集23・12・1573参照)。

 ここでの「やむを得ずにした行為」は、防衛行為自体を基準に判断するのが原則です。そのため、例えば、酔っ払いが駅のホームで激カワなお姉ちゃんに絡んで、お姉ちゃんが、「やめてよ!」と払いのけて、酔っ払いが転倒して、打ちどころが悪く亡くなっても、激カワなお姉ちゃんの行為は、単に行為を見れば払いのけただけなので、相当性を有し、「やむを得ずにした行為」と言えます。

 

  先ほどの例の場合

 では、先程の例について検討してみましょう。

 まず、①の例は、殴られそうになり、殴り返したところ侵害者が失神したにも関わらず、その後殴り続けたというケースですよね。

 

 このケースでは、正当防衛は成立しません。先ほど検討した通り、「急迫不正の侵害」とは、違法な侵害が現在化しているか間近に迫っている場合です。確かに、侵害者が殴りかかってきた時点では、違法な侵害が現在化しており、「急迫不正の侵害」が認められます。ですが、侵害者が失神をした時点で、少なくとも侵害者が意識を取り戻すのに数分から数十分は、かかりますよね。そのため、この時点で、侵害が終了しており、「急迫不正の侵害」が認められません。

 

 そのため、侵害者失神した後の自分の殴打行為は単なる暴行です。

(なお、誤想防衛により、故意阻却あるいは責任阻却がありえますが、今回は検討しません。)

 

 次に、②の例、すなわち、映画のシーンで敵地に乗り込んで、「正当防衛だ!」と叫ぶシーンです。これも正当防衛は成立しません。

 

 確かに、正当防衛の場合、自分だけでなく他人に危害が加えられている、あるいは加えられようとしている際でも、「急迫不正の侵害」と認められます。ですが、映画のシーンでは、敵の主人公の仲間への暴行はすでに終了していました。また、主人公は、未だ戦闘状態に入っておらず、かつ、対面して話合っている状態に過ぎませんでした。そのため、「急迫不正の侵害」は認められません。

 

 以上より、例①②につき、正当防衛は成立しないことになります。

 

 総括

 このように正当防衛が認められる範囲は、少し一般感覚とずれるところがあります。というのも、正当防衛は、本来警察が助けに入るべき事柄を自分で解決してしまう的な側面があります。そのため、本来違法な殴打行為などを例外的に、違法性を有しないとして、犯罪を成立させない規定です。

 

 したがって、本当に殴った人に犯罪を成立させなくてよいのかという視点から、慎重に成否が検討されます。これはある意味仕方がないことです。なので、気に食わない人がいても、原則、絶対に相手を殴ってはいけません。

 

 マニアックな話

 ここからはかなりマニアックなので、読み飛ばして頂けると幸いです。

 

 積極的加害意思を有する場合には、「急迫不正の侵害」該当性が否定され、攻撃意思を有する場合には、防衛の意思が否定されると、法律を勉強されている人ならご存知だと思います。

 

 ですが、積極的加害意思がある場合と攻撃意思がある場合とは、具体的にどのように

分けたらよいのでしょうか。

 

 ここは私の個人的な意見もありますが、そもそも、判例上、積極的加害意思が問題となったケースは、侵害を予期して迎撃態勢をとっていた場合ですよね。つまり、侵害を予期してその機会を利用して相手に危害を加えようとしていた場合です。そのため、積極的加害意思の判断の有無は、「急迫不正の侵害」が認定された時点あるいは、それ以前に問題となる話です。

 

 他方、攻撃意思の場合には、侵害を受けて激高し、相手をただただ痛めつけようとしている場合ですよね。この攻撃意思が生じる段階は、「急迫不正の侵害」が開始してから終了するまでです。

 

 よって、積極的加害意思と攻撃意思では、認定される時点が違うと分析するのが良いと思います。

     急侵     終了

――――――↓――――――↓

積極的加害意思   攻撃意思

 

 

 

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